今回はすこーしばかり真面目なお話しです😅
いつもより文字が多くて長文なので
お時間がある時にお付き合い頂けたら幸いです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私が初めてフィリピンへ行ったのは
20歳代前半の事
その頃は馬鹿がつくほどの
真面目な青年だったFriendy
もちろん遊びなんかでは無くて仕事でした。
日系の工場への技術供与という仕事内容で
多くの若いフィリピン人達と共に働いて
1ヶ月ほど滞在すると帰国して、また1ヶ月後に
フィリピンへ飛ぶと言う様に隔月での渡比。
場所は当時のセブ・マクタン島でした。
その時に私をそのポジションに任命したのは
私の仕事の師匠で「お前は若いんだから」と
通訳を付けずにフィリピン人だけの5人の
チームに放り込まれました。
当初は「言葉も分からないのに鬼だな」と
師匠を恨みましたが…
フィリピン人たちは少しずつ英語を教えて
くれたり、彼らも日本語を頑張って勉強したりと
優しく接してくれて何とか仕事も目標に向けて
軌道に乗ってくれました。
今ではすっかり忘れてしまいましたが
この時の経験のおかげで少しは英語が喋れる
様になったし何より海外での仕事に抵抗が
無くなって、むしろ海外でローカルの人と
仕事する事の方が楽しいと思えて来たのも
この時期でした。
ある時、仕事で必要な工具が破損してしまいます。
当時のセブではちょっとした工具もその辺では
売ってなくて困り果てていたら
「それならウチにあるよ!」
と1人のワーカーが申し出てくれて
早速取りに行くことに
最悪それが使えなかったらセブシティまで
買いに行かなきゃって事で私も彼の家まで
行く事になります。
そして彼の家に到着するとそこはいわゆる
バラックが乱立するスラムの様な場所で
私なんてテレビでしか見た事がない風景でした。
当然そこでビビるFriendy青年は
恐る恐る車から降ります。
でもそんな恐怖心とは裏腹に皆んな笑顔で
歓迎してくれたのです。
子供たちは当然裸足だし服はボロボロ
男の子は大体が上半身がはだかで
肌が黒いのか?泥汚れなのか?分からないくらい
汚い顔しながら笑顔で遊び回ってます。
「こんなに不衛生で大丈夫なのか?」
と思う程に、これまた薄汚れた赤ちゃんを
抱く女性も私に笑顔で手を振っていたのを
今でも鮮明に覚えています。
とにかくそこに居る誰もが屈託のない笑顔
なんです。
「こんなに貧しいのに」
「こんなに過酷な環境なのに」
「なんで笑ってられるんだ?」
まだ20代前半の私は物凄いカルチャーショック
を覚えました。
彼らが私を見てどう思ったのかは知る由も
ありませんが
当時の私は「外国人」だとか「見た目が綺麗」
とかそんな事は関係無くて「1人のただの人」
として彼らは私を見てくれてい居たのではないか?
そんな風に感じたのです。
いま思えば「カネが来た」と思われてたかも
知れませんけどね。
この時の経験で
「人の価値観って見る角度を変えて見たら
物凄く違って見えるんだ」
そんな風に思えて
「俺ってすげぇ小ちぇな」
と思いました。
逆を返せばこの時の経験だけで自身の視野が
一気に広がったんだと思います。
海外は若いうちに行け!
なんてよく言われますが正にその通りだと思う。
いま考えると当時の師匠も私にそんな経験を
させたかったんでしょうね
この時からフィリピンに興味を持ったのは
もちろんの事
「もっと他の国にも行ってみたい!」
という思いが物凄く強くなって行きます。
仕事柄、東南アジアばかりが出張先に
なるのですが中国・韓国・タイ・ベトナム
20〜30代の頃は出張先に海外が上がると
真っ先に手を挙げて率先して出掛けて行きました。
それぞれの国でかけがえの無い経験を
して来ましたが
やっぱり自分はフィリピンが一番ですね
〜つづく〜