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MIKIKO先生のお仕事(ESPRIT JAPON)(追記)

追記
※ESPRIT JAPON:フランス放映Ver.(フル)に差し替えました。





日曜日無事に戻ってきました。
先週NYは大雪。空港閉鎖、飛行機は欠航。
おかげで行く予定の無いシカゴ一泊(閉鎖解除待ち)次の日昼前にようやくNY入り。1日予定がパー。慌ただしいスケジュール変更の旅でした。帰ってきた後の週末~週明けにまたもやNY大雪のようで地下鉄も止まったりして、もし今週に予定が伸びてても色々ヤバかったなあ。






恒例の「MIKIKO先生のお仕事」シリーズ
1月30日BSで放映された「ESPRIT JAPON」つべに上がってたのでようやく見れました。
■ESPRIT JAPON/(フランス放映Ver.)

http://youtu.be/UiBKLlbofCE




色々と個人的に思う所と過去インタビューも
合わせてまとめてみた。



◆自分が本当にやりたかった事
ダンサーとしての数々の栄誉も受けてきた彼女が、何故表現者として表舞台に立つ「プレイヤー」から「プロデュース」「ディレクション」する道に進む決心をしたのか。
初めて人にダンスを教え始めたのは19歳の時。その2年後アクターズスクール広島(ASH)が出来る。
ASHで講師をしていた頃、先生はまだバリバリの現役ダンサーだった。
人を教えて行くうちに「ディレクション」の面白さに取りつかれたのだろう。
「やっぱり私、自分が表で踊るより創る方が楽しい」とはっきりとわかったのが25歳の頃だそうで。
※出展:white-screen.jp/2011年


全然踊れなかった素人同然の子供たちが自分の指導でメキメキと技術、表現力を伸ばしていく。
それが彼女を指導者へと舵を切らせた理由なのかもしれない。
そしてその集大成とも言える舞台「DRESS CODE」(2005)公演を仲間とやりきり、それがAmuseの大里会長の目に留まり、NYの武者修行を勧められたのが27歳の頃、と言う訳です。



◆それまでの自分の全否定
Amuse大里会長から勧められた1年半のNY武者修行の旅。喜び勇んでNYの地に降り立ったが、そこで待っていたのは「今までの自分の価値観の崩壊・全否定」。
当然辛い旅だったとの事。

・黒人っぽく踊る事が当時のトレンド。「カッコよく」「Cool」にと思っていた。
・本場のダンサーとの切磋琢磨の中、「自分は日本人である」という事に気付かされた。
・自分の過去の価値観が崩れて行った。
・結果いろんなものが削ぎ落とされて行った。




アクターズで教えていた頃のMIKIKO先生のダンスの源泉はここに見られます。
■Perfumeのオリジナルダンス

http://youtu.be/mLZXrRCqj_0
上記はPerfumeファンには有名な亀戸にある「サンストリート亀戸」で定期的に行っていたステージイベントの動画の内の一つ(2003年9月28日)
MIKIKO先生の言う「黒人っぽく踊る」とはすなわち上記動画の様な「Hip Hop/ストリート系」いわゆるB系ダンスの事を指しており、彼女達の技術の基礎にはこういうダンスがあります。
MIKIKO流エッセンス満載のPerfumeの振付ですが、今もステップその他にこのB系ダンスの片鱗が伺える事も多いです。


Amuse所属アーティストへ(さ学、BABYMETAL他)や最近は外のグループの振付もやっています。
が、このB系ストリートダンスや先生の好きなジャンルであるジャズダンスなどの基礎を徹底的にMIKIKO先生から直接教え込まれたのはASH1期生であるこの3人だけでしょう。
(まみりやちゃあぽんもそうかも)



◆Perfumeのブレイクは「事故」
悪い意味では無く、自分にとって「事故」のようなものだったと(笑)
2008年2月、ある意味「自信喪失」とある意味「楽になって帰って来た」自分の今後の身の振り方を考えていたであろう先生を迎えたのは、渡米前はいつ解散するかわからない、風前の灯だった教え子「Perfume」の大ブレイク。
2006年~2008年まで日本にいなかった先生はそのブレイクをリアルタイムでは知らず。
これは昔のインタビューでも語ってた。浦島状態だったと(笑)
しかしそのブレイクのおかげで「自分のやるべき事が鮮明になった」と。
日本人の体形に見合うものプラス緻密さ、細やかさ。これを武器とする。





◆Perfumeとの距離感
「とにかく、周りがどんなに変化しようと、“3人の魅力を最大限に引き出すこと”だけにこれからも集中していきたいですね。それは、3人がこうやってブレイクする前からこだわってきたことだし、何か突飛なことをして突然ブレイクしたわけじゃなく、今までぶれずに続けてきた貯金を、やっと評価してもらえるようになったと私は思っているので。」
※出展:東京ダンスマガジン/2010年10月

「彼女達がスクール生の時期、それから東京に出て来てもがいてる時期、いろんな夢が叶い始めた今、それから未来を私はずっと同じ距離感で見守っていたいです。この2つが一番長く彼女たちに関わっている“先生”として、してあげられることですかね」
※出展:同上

「彼女達が東京に出て来た時も、売れてなかったし、ホントに売れると誰も思ってないぐらい、5人ぐらいのお客さんの前で踊ってみたりと言う日々を繰り返してたから、もう愛情だけで、売れなくても、ずっと振り付けて行く、行きたいグループ。だったからNYに行っても止めずにビデオレターで送っていたしって言う」
※出展:ESPRIT JAPON


ここわかっててもやっぱり
泣けましたねえ。






上記まとめについて、下記の過去先生を取り上げた番組・映像記録のまとめが
色々と補完してくれております。良動画です。

http://youtu.be/tY6zQHk2kPc




3人と先生が初めて出会って以来17年間。
上京後、崖っぷちをひたすら走って来たPerfumeだが、同じくMIKIKO先生も苦しんでた。
それがいつの間にかお互い世界の舞台に立っている。
Perfumeに実は存在する4人目のメンバーは「水野幹子」と昔良く言われました。





Perfumeの前にMIKIKO無く
Perfumeの後にMIKIKO無し









※出展:
東京ダンスマガジン((2008年)
「演出振付家 MIKIKO ~BALANCE CONTROL~」
http://www.tokyo-dance-magazine.com/people/mikiko/index.html

white-screen.jp(2011年)
「Perfumeの振付師MIKIKOの新たなる挑戦!ダンスカンパニー「イレブンプレイ」と初公演「dot.」に迫る」
http://white-screen.jp/?p=11567