PPPDの後、TPに至る経緯です。約23年間の話です。
1999年9月に粘液産生性膵腫瘍(IPMNとも、のちに腺がんであったとも)で幽門輪温存膵頭十二指腸切除術(PPPD)を東京女子医大病院で受けました。このとき、残した膵体部にのう胞(IPMN)があることはわかっていましたが、膵臓の機能を維持しQOLを確保するために「あえて残した」とのことでした。
その後、半年毎にCTあるいはMRI (MRCP)によるフォローアップを継続していました。フォローアップでは残したのう胞が変化しないか、大きさはほぼ10mmくらいで推移しているのを確認するのが主でした。
2020年4月に東京から京都へ転居しましたが、半年毎の検査は女子医大で継続していました。
2022年9月のMRCPで膵管拡張が指摘されました。拡張が生じているのは、それまで観察を続けていたのう胞よりも離れてさらに上流でした。新しい何かができていて、この6か月で大きくなったものと考えられました(3月のCT検査ではこの兆候は読めていませんでした)。
担当の医師と相談し、「治療を想定してさらに検査するべき」、また「治療するなら自宅のある京都の病院のほうがよい」として、京都の病院を紹介してもらうことにました。
女子医大の担当の医師はすぐには京都の病院に心当たりはないとのことでしたが、医局での検討の後、女子医大から京都の病院の地域連携室に連絡して診察の予約枠を確保してもらいました。過去の画像のデータはCDで郵送されてきました。