「しかし、引きこもりなのに芸能界に進むというのは珍しいなあ」
菅田将暉が言ったので、松坂桃李は以前テレビでも説明したことを繰り返した。別に芸能界に入りたかったわけでもなければ、映画が好きだったわけでもないんです。本当はどこに勤めてもよかったんですが、今の仕事が日本で一番高給だという噂を、あるインターネット掲示板の社会経済スレッドで見つけて、それでいまの事務所が主宰するオーディションを受けたんです。それだけの理由なんですよ。
「へえー」
菅田将暉は感心したような声を出し、
「失礼だけど、で、どのくらい貰っているんですか」
と訊いてきた。
「まだ三十歳やそこらだけど、それでも年に一億円と少しは貰ってます」
「そりゃあすごい」
菅田将暉はつづけて、このコロナ禍でエンタメ業界は四苦八苦の状態で、自分のところなどはそのしわ寄せをもろにかぶっていると嘆いてみせた。松坂桃李はそれからしばらく、日米の経済関係について話した。その中で、とりわけ基軸通貨というものの説明を少し詳しく行った。「八十日間世界一周」の主人公フィリアス・フォッグにはどこの国でもイングランド銀行券で買い物ができるというアドバンテージがあったこと。それが1931年にポンドが金本位制を離脱することで不可能になってしまった経緯。アメリカの登場。戦争。ミスター・ドッジがGHQのニューディーラーたちをやりこめた話。ドッジと池田勇人が密談で決めた時の為替レートは三十円ドル安だったこと。覇権国が必ず陥る海外債権の陥穽。ベトナム時代のアメリカの「ガン・アンド・バターポリシー」の矛盾。そして1971年のニクソンショックや竹下大蔵相時代のプラザ合意の裏話。ミスターYENと呼ばれたかつての大蔵省財務官の意外に低い省内評価。予算編成権など奪ったところで内角機能が十分に補強されない行政改革プランでは、実効性は乏しく、金融庁の役割など財政当局は一切期待していないこと。日米の不良債権問題が、インターバンク取引の発達で世界同時不況の契機となり得るシナリオはもはや陳腐で、米国は世界金融市場から日本経済を除外しても恐慌が発生しないシステムの構築を企図し、すでにおおよその体制づくりは終えていること——などについて、松坂桃李は喋った。
菅田将暉は熱心に松坂桃李の話に耳をかたむけ、彼の方は自分の周りの若手俳優の近況や暮らしぶりについて細やかな解説をした。ディレクターたちも二人がようやく打ち解けて話をはじめたので、傍らでほっとした顔をしていた。しかし松坂桃李は、菅田将暉が話すことに興味を感じなかったので、実際はほとんど聞いていなかった。
トークが進み、CMに移った。菅田将暉はとっておきの酒だと、スピリタスを持ってきて松坂桃李のグラスに注いだ。菅田将暉はすっかり寛いだ風情で、やはり松坂桃李の正面に座っていた。
「いやいや、お恥ずかしい話ですが、実は昨夜はよく眠れませんでしたよ。番組ディレクターが僕のところにきて、菅田さん、前々から呼びたいゲストがいるんですがなんて、突然桃李さんのことを打ち明けた時は、正直言ってぶったまげましてね。こう言ってはなんですが、あなたのことは引きこもりで人前で喋るのが苦手だと思っていましたから」
菅田将暉はグラスをぐいと傾け、
「だけど、いやいや、ほんとうに安心しました。またぜひ遊びに来て貰えますか」
と付け加えて、少し照れたような笑い方をした。松坂桃李はそれには答えず、ディレクターにトイレの場所を訊くと、立ち上がってブースを出ていった。