私はツンデレの女性と結婚した。どうしてもツンデレでなければならなかった。ツンデレはパチンコのようなものなのかも知れない。投資が嵩んだパチンコ台がデレ始めるとき、我々は恋愛感情にも似た幸福感で、つい先程まで冷酷無情であった機械と分かち合う。私は生粋のギャンブラーであり、また、純粋なヒューマニストでもあった。機械は人間の断片であり、断片を愛さぬこと無く全体への愛しみはありえない。断片への愛はフェチズムとは真逆に位置する。全体への愛の欠如がフェチズムを生み出すのに反し、断片への愛は全体への愛へと飛躍する。私は彼女がパチンコ玉ほどの肉塊と化しても、その愛に揺らぎを伴うことはないだろう。
我が妻「レイ」とは、昨年の夏、社の商取引でオランダへ赴いたときに出会った。アムステルダム国立美術館を200万ユーロ以内で買収しろなどという自社のふざけた要求に、半ば不貞腐れ気味であった私は、滞在経費でマリファナを大量購入し、第二次世界大戦での日本軍によるインドネシア植民地の占領の恨みを地元民から散々説教を受けながらホーへ・フェルウェの片隅でバッドトリップする毎日が続いていた。そんなある日、その場に通りかかったレイは私を見て「日本人か?」と訊ねたらしい。イカサマプッシャーから格安で購入した粗悪品のマリファナは、この日珍しく心地よい浮遊感を私に与えていたので、私にはレイの質問がこう聞こえた。
「あなたは、死なないわ」
彼女は続けた。
「わたしが守るもの」
私は「うむ」と答えた。適当だった。無表情でそれらの意味不明な言葉を発する彼女の意図は、私にはわからなかったが、少なくとも悪意は感じられなかった。私はこの時、彼女から産み落とされた新生児のような気分に陥っていた。彼女の母乳を授かりたいと渇望した。
「何を願うの?」
彼女は言った。私は正直に答えられないまま、ただ俯いていた。彼女の表情は依然崩れる傾向にはなかった。美しい女だと思った。母親のようにも見えたし、年端も行かぬ中学生のようにも見えた。晴天の青に、彼女の髪が同化した。私は未だ赤子のような心地であった。彼女には一切の性的欲求を感じ得ることなく、ただ純粋にその胸に飛び込みたい一心であったが、何かが私にそれを強く拒絶した。既視感にも似ていた。私はかつて彼女と共に過ごした時期があるような気がしてならなかった。
私は過去に彼女を「損失」している。
それは私の過失であり、そうでなければならない。そういった既視感である。私以外に彼女を所有してはいなかったし、また私以外の人間が、彼女を損失してはならないのだ。私はその深き後悔を永遠に背負う罪人でなければならなかった。
懺悔。それだけが私の全てであった。生まれ落ちたことへの懺悔。彼女の無表情は神仏の類の慈悲と怒りに満ちていた。一見、変化の無いように見える彼女の面持ちは、私の心の在り方次第で、祝福に満ちた福音の光を与え、また同時に海底の無常の闇を与えた。罪はただ、垢のように流れ落ちてゆく。私はこれを内心で「魂のソフラン」と名付けた。
いつの間にか、私は授乳への渇望を超越した深い回帰願望を抱き始めていた。
「還りたい」
私は彼女の前に眠りに落ちた。薄目の向こうで彼女が微笑んでいたような気がしたが、それは定かではなかった。
ある式場で、私は「レイ」と契を交わした。神父もいなければ、来賓もいない、異国の小さな教会でのことだった。そこは確かに式場であったが、実に不思議な空間だった。広く、薄暗く、高い天井には濃霧のようなものが漂っていた。目がかすむほど遠い位置に、ステンドグラスから差し込む光が見えていた。長いヴァージンロードを私と「レイ」は終始無言でゆっくりと歩き続けた。私は、いつ、どうやってここに入ったのかわからなかった。しかし、私は確かにここで「レイ」と結婚した。純白のウエディングドレス姿の「レイ」には依然として表情がなかった。表情という概念が存在していなかった。その目は、未来も過去も見てはいない。私には彼女が見ているものが何であるのかは、知る由もなかった。
私たちは結婚をしていた。そして再び契をかわすために、長いヴァージンロードをどこまでも歩き続けた。
いつの日であったか、私が眠りに落ちる瞬間に見せた、刹那の笑みは未だ発動の兆しを見せることがない。もはや私には彼女の微笑みだけが、生きる意味となっていた。彼女の「デレ」を待ち続ける人生には、何の不服を感じることもないし、これからも私は待ち続けるだろう。私は、アムステルダム国立美術館で眺めたレンブラントの絵に、その意味を見たような気がした。「夜警」は、中央よりやや左にいる少女だけが、光を帯びている。少女は今も美しく微笑んでいる。
「起きろ。また寝てやがるのか、てめえは。つーか、これで何度目だ?ああん?親泣かせやがって。俺ら警察に、これ以上仕事増やすんじゃねえよ。てか、てめえパクってもウチには何の得もねーんだ。意味わかんねーことばっかブツブツ言いやがるし、芋づる検挙も期待できねーしな。ところで本当の話、てめえは一体どこからハッパ仕入れてやがるんだ?何?オランダ?フカシこいてんじゃねーぞ。無職、文無しのてめえがどーやってオランダに行くんだ?所持金57円じゃあハウステンボスだって行けねーだろうが。このスカタンが。ったくよう。まあ、今回は結構長く喰らうから覚悟しとくんだな。