大惨事の認識がなく、ボーリング大会&2次会・3次会に参加したJR西日本の職員。今朝のニュースでは夜8時から焼肉屋で4次会に行った輩もいたとのこと。危機管理マニュアルが完備されていない企業も問題ですが、脱線の事実は数人が認識していたはずです。「大惨事と飲み会」が同時に成立しない事を知りながら、注意を促す「人」がいなかったのが不思議です。でも、これはJR西日本だけの問題だろうか?と考えてみました。
人は社会的動物であると言われます。
ひょっとしたら日本全体に社会性が欠如したヒトが増殖しているのではないでしょうか?それぞれが社会と直結しているのはだれが考えてもわかる事です。地域や団体に溶けている感覚を持ったヒトならまだマシですが、個人的感覚だけで生きているヒト科の動物がそこかしこに見られるようになりました。
脱線事故に便乗するように全国各地で置石が見つかり、昨夜はなんと自転車を線路に置き、電車がそれを引きずって180メートル先で停車したとの事件がありました。ニュースではそれを「いたずら」と表現していましたが、その軽さがヒト科の動物を増やすことになっていないでしょうか?一歩間違えれば殺人であることを認識できない動物。
万引きや自転車泥棒の経験があるヒトも年々増加傾向にあるように感じます。そのヒトも周りのヒトも犯罪であるということを認識していないようです。とっても優しい日本の社会が「初犯だから」とか「改悛している」ことで許してしまうことも増加する原因のひとつでしょう。スポイルするほどの親の対し方にも問題があります。それらの甘さに付け込む動物であるということも忘れて。
「プチ家出」、「援助交際」、「ニート」、「フリーター」などもオブラートに包まれている言葉で、その深刻さを感じにくくしています。それでなくても感性が鈍いのに、かろうじてヒトに留まっているのを、動物のレベルまで突き落とす「アシスト役」をマスコミが見事に果たしています。
戦争時を懸命に生きてきて、後世にそれを伝えなければいけない人々も年々少なくなってきています。私も戦後の生きる苦しさを知らない世代で、懸命にならなくても生きられる時代を過ごしてきました。そんな幸せな国になっているのに簡単に殺人を犯すケモノが増加しています。
秋葉原のコスプレ喫茶に出入りする男を尻目に、歴史や相手国の国民感情を理解することなく韓国男性とのお見合いに走る女性たち。実際に結婚してかの地に居住してからその厳しさに毎日身がすくむ思いをするのでしょう。国内事情も自分に関係ないと思って生きてきたのでしょうから、国際感覚などあるはずもありません。不幸にならないことを祈るばかりです。
どうもこういう話になると悪い点ばかりあげつらってしまいますが、本当は日本人としての誇りを取り戻してもらいたいという願いからの提言と理解していただければありがたいです。誇りを取り戻すために具体的に何をすればいいのかということは今の段階では思いつきません。戦後60年で失ったものを取り戻すには相当な覚悟と発想の転換が必要だと思います。だた「北」から変なモノが降ってきてからでは遅すぎます。
非難・批判だけに終わっては何も変わりません。
気付かせる「何か」が必要なのです。
「ヒト」のふり見て我がふり直して、
早く「人」に戻ってくれることを祈ってやみません。