昨今の悲惨な事件を目にするたびに、今の日本人に欠けているものは何か、と考えてしまいます。日本はその近代史において、2度過去を清算してしまったとても珍しい国です。
最初は明治維新。徳川300年、鎌倉から数えると約700年の武家社会を完全に一変させ、西洋文化を積極的に取り入れる反面、過去を捨て去ることに躍起になりました。あの新撰組の土方もその後期には洋風の衣装を身にまとっていましたよね。それ以降「サムライ」という言葉すら歴史の中に埋もれてしまい、その精神までなくしてしまいました。
2度目は第二次大戦。、ヨーロッパから遅れる事300年、大東亜共栄圏成立を建前とする数百年遅れの帝国主義の名の下に(「今頃何やってんの?」と思われるほど・・・)、軍事行動によりその勢力を拡大(拡散と言ったほうがいいのかも)させていった日本軍。そんな中で、今の北朝鮮のように情報統制され、洗脳された国民は、敗北が確定した時期においても神国日本を信じ、世界の列強に立ち向かおうとしました。
敗戦という形でその間違いに気が付き、それだけを排除すればよかったのですが、アメリカの老獪な手法により、天皇崇拝を始めとして日本人固有の価値観をも捨て去ってしまったように思います。それでも廃墟の中から現在の日本の礎を築いた世代は、宗教まで捨て去る事は少なかったように思います。ですからどこかに「モラル」が存在し、そのボトムラインも明確な形で認識され、まだまだ性善説で日々を過ごせる時代だったのです。
ところが、カネとモノが溢れて、生きていくことに対する心配が薄れ始めた時期から、お互いに助け合うことよりも他人に対する対抗意識が強くなり、それに伴い「エゴイズム」や「嫉妬」といったものに心を支配された人が増えてきました。転勤等による土着性の欠如(=村的コミュニティーの崩壊)と無宗教によるモラルのボトムライン低下(消滅?)が加わり、今では「人を見たら泥棒や変質者と思え」といった性悪説がはびこってしまっています。移民政策で国力を高めていったアメリカの場合は、言葉や文化、習慣の違う他民族で形成されていますので、そのような考えの人が多くても無理はありませんが、宗教的なモラルのボトムラインは存在します。日本はほぼ単一民族で形成されている国ですからボトムラインは高いはずなのに、それが見当たらなくなってしまった今の状況は悲しむべきものだと思います。
この記事は成田行快速電車の中で書いているのですが、今とんでもない光景に出くわしました。平成の名勝負のひとつにもなりそうな光景です。スーツケースを横に置き、大きく足を組んだ若者がふたりで4人掛けのボックス席を占領していました。スーツケースが真新しいので、卒業旅行で海外に行くのでしょう。彼らは駅に着くたびに気には留めるのですが、席を詰めたり譲る気配など全く無く「入ってくるなよ」といった表情で足を組んだまま周りに無言の圧力を発しています。数人の客が立ったまま恨めしそうにその席を見ていることも完全に無視するふたり。
ところが、多数の乗客が乗り降りする錦糸町駅に到着した途端、竜巻の如く二人の中年女性が入り込んで、その若者の視線など全く気にすることなく「こっちこっち」と割り込んでいきました。若者たちは嫌な表情を見せながらも仕方なく組んだ足を下ろし、横の席に置いてあったバッグも膝に乗せ、見事に寄り切られてしまったのです。どちらもお互いのことを全く考えない行動で、呆気にとられてしまいました。
モラルのボトムラインが高ければ、駅に着いた途端に若者は席を詰めて座り、その前に現われたご婦人が「そこよろしいですか?」と尋ね、「はい、いいですよ」と若者が笑顔で答える。・・・・そんな世の中ってもう戻ってこないんでしょうね。なんだかとても悲しいです。
あららいつの間にか「ボヤッキー・オヤジ」になってしまいました ・・・・・やだやだ(笑)。
最初は明治維新。徳川300年、鎌倉から数えると約700年の武家社会を完全に一変させ、西洋文化を積極的に取り入れる反面、過去を捨て去ることに躍起になりました。あの新撰組の土方もその後期には洋風の衣装を身にまとっていましたよね。それ以降「サムライ」という言葉すら歴史の中に埋もれてしまい、その精神までなくしてしまいました。
2度目は第二次大戦。、ヨーロッパから遅れる事300年、大東亜共栄圏成立を建前とする数百年遅れの帝国主義の名の下に(「今頃何やってんの?」と思われるほど・・・)、軍事行動によりその勢力を拡大(拡散と言ったほうがいいのかも)させていった日本軍。そんな中で、今の北朝鮮のように情報統制され、洗脳された国民は、敗北が確定した時期においても神国日本を信じ、世界の列強に立ち向かおうとしました。
敗戦という形でその間違いに気が付き、それだけを排除すればよかったのですが、アメリカの老獪な手法により、天皇崇拝を始めとして日本人固有の価値観をも捨て去ってしまったように思います。それでも廃墟の中から現在の日本の礎を築いた世代は、宗教まで捨て去る事は少なかったように思います。ですからどこかに「モラル」が存在し、そのボトムラインも明確な形で認識され、まだまだ性善説で日々を過ごせる時代だったのです。
ところが、カネとモノが溢れて、生きていくことに対する心配が薄れ始めた時期から、お互いに助け合うことよりも他人に対する対抗意識が強くなり、それに伴い「エゴイズム」や「嫉妬」といったものに心を支配された人が増えてきました。転勤等による土着性の欠如(=村的コミュニティーの崩壊)と無宗教によるモラルのボトムライン低下(消滅?)が加わり、今では「人を見たら泥棒や変質者と思え」といった性悪説がはびこってしまっています。移民政策で国力を高めていったアメリカの場合は、言葉や文化、習慣の違う他民族で形成されていますので、そのような考えの人が多くても無理はありませんが、宗教的なモラルのボトムラインは存在します。日本はほぼ単一民族で形成されている国ですからボトムラインは高いはずなのに、それが見当たらなくなってしまった今の状況は悲しむべきものだと思います。
この記事は成田行快速電車の中で書いているのですが、今とんでもない光景に出くわしました。平成の名勝負のひとつにもなりそうな光景です。スーツケースを横に置き、大きく足を組んだ若者がふたりで4人掛けのボックス席を占領していました。スーツケースが真新しいので、卒業旅行で海外に行くのでしょう。彼らは駅に着くたびに気には留めるのですが、席を詰めたり譲る気配など全く無く「入ってくるなよ」といった表情で足を組んだまま周りに無言の圧力を発しています。数人の客が立ったまま恨めしそうにその席を見ていることも完全に無視するふたり。
ところが、多数の乗客が乗り降りする錦糸町駅に到着した途端、竜巻の如く二人の中年女性が入り込んで、その若者の視線など全く気にすることなく「こっちこっち」と割り込んでいきました。若者たちは嫌な表情を見せながらも仕方なく組んだ足を下ろし、横の席に置いてあったバッグも膝に乗せ、見事に寄り切られてしまったのです。どちらもお互いのことを全く考えない行動で、呆気にとられてしまいました。
モラルのボトムラインが高ければ、駅に着いた途端に若者は席を詰めて座り、その前に現われたご婦人が「そこよろしいですか?」と尋ね、「はい、いいですよ」と若者が笑顔で答える。・・・・そんな世の中ってもう戻ってこないんでしょうね。なんだかとても悲しいです。
あららいつの間にか「ボヤッキー・オヤジ」になってしまいました ・・・・・やだやだ(笑)。