おはようございます。

GW中?GW明け?ですが、ずっと暦通りの出社してます。

しかも今日明日は上司が休みなので、朝会の仕切りをやらないといけないのです。

ガンバレーワタシー!


先週、東京で大きな虹が見えました。

うちの近所では虹が二本見える現象も!


その日は、お友だちが亡くなりました。享年69才。癌を患っていたそうです。

親友のふくちゃんの親友。友だちの友だちはみんな友だち!の精神で仲良くさせてもらっていました。

頻繁に会う関係ではなかったけど、会うと面倒見のよさで、沢山可愛がっていただきました。

ピアノが上手で、某音大を首席で卒業されたそう。かつてはピアニストだったそうで、渋谷の徒歩5分くらいのマンション住まい。

グランドピアノが鎮座する、まるでどこぞのスタジオのようなお部屋で、素敵な音楽を聴かせてくれました。

ハイソな人かと思いきや、ご飯食べに行こう!と連れていかれたお店は、餃子の王将。

ギャップ萌えするお姉さんでした。

あの日の虹は、お姉さんの旅立ちに合わせたかのようで、なんだかしんみり。

ご冥福をお祈りいたします。


*****************


さてさて、帰省最終日の話なのですが、もう1ヶ月以上経ってしまったので、タイトルには書かずに、ひとつのエピソードとして書こうと思います。


帰省四日目は、午後の飛行機で帰る日でした。

帰る前に、どうしてもしておきたかったこと。

それは「伯母のお見舞い」


父の姉の豊子さん。

この方、貴族。まさに独身貴族。


豊子さんは、5人姉弟の2番目次女。

高校を卒業して、公務員となり、以来、自分の生きたいように生きてきたひと(親戚談)

趣味で始めたお茶を究め師範に。定年後は香道も生業としていました。

潔癖でモノをはっきり言う人で、我が家に着くなり、掃除をしだすので、当然母は面白くない。

私の子どものときの記憶では、高級車に乗り、盆と正月に顔を出し、お小遣いをくれるのはいいけれど、なんだか甘えにくいので、あまり会いたくない人でした。(嫌いじゃないけど難しい人だな…と子ども心に思っていた)


父の姉兄は長女は鬼籍、男兄弟は皆県外で家庭を持っています。

父が実家を継いでいるということもあり、豊子さんには、まぁまぁ良くしてもらっていました。


ですが、なんと言うか…ズレてる…んですよね。

例えば、私が出産したとき、出産祝い(現金)をいただいたんですよ。

そりゃ、物入りのときなので、お祝いをいただけるのは、とっても嬉しいですよ。

でも、そのとき、良かれと思って言ったであろう

「内祝いはいいからお手紙ちょうだい」というセリフ…。

↑これ、出産経験者なら分かると思いますが、産後の、体がまだしんどい時期、直筆の手紙を書くことが、どんだけしんどいことか…ブルブルブル…

しかも、早く送らないと、親戚ご近所さんに不出来な姪と吹聴されるのは目に見えてる!

出産は全治3週間と言われるほど、身体へのダメージでかく、オマタも切られたり、裂けたりでマトモに座れやしないうえに、新生児のお世話で圧倒的寝不足状態なのに(里帰りせず)、文面を考えて、便箋封筒用意して、直筆で書いて(パソコンでプリントアウトなんかしたら、何言われるか…)、切手買って、投函する…

金なんかいらんわー!

と、怒りに震えながら、でも母の手前、出さない訳にもいかず、痛いオマタを庇いながら、必死で書き上げました。

(母よ…こういうときは産後はそれどころじゃないと、豊子さんに言って欲しかったよ…)


内祝いのお金は使わなくていいよっていう善意なのは、わかりますげどね…苦笑


他にも、私が年末の繁忙期でキリキリ舞いしてるところにお歳暮で高級チクワ(地元で有名な練り物屋のナントカ大臣賞受賞のやつ)を送ってきて、年内にとてもじゃないけど手紙を書く余裕なんてないので、わかっちゃいるけど放置するしかなく、そんなこちらの事情を知らない豊子さんは「つばき(妹専業主婦)からはお礼があったのに、ふじこからは何にもない」と、ぼやいていたそう。(電話ではなく手紙を寄越せという方なのです)

私も一応仕事が休みに入ってすぐに(ふじこは毎年12/30まで仕事です)、御礼状を書いたのですよ。

こっちの事情を一切汲ゆまない、豊子基準に毎度振り回されていました。

もう…ね、年末に届くお歳暮は『恐怖の練り物』でしかなかったです。


そんな我が道を行く豊子さん。

四捨五入すると100才の御年。

50代で乳癌を患い、1度は寛解。

90代で再発してしまったそう。

腫瘍摘出の手術を受け、年が年なので、入院も長引き、誰もがもう長くないと思っていましたが、不死鳥の如く復活。

でも、もう自宅で一人暮らしは無理だよね…となり、高齢者住宅(高級)に身を寄せるようになりました。


そして、昨年末は、あれほど私を悩まし続けた、年末のチクワが届かなかったのです。


ないとないで寂しいのは人の性?(苦笑)

心配になって母に聞いてみると、もう自分では注文に行けないので、母に指令を出して手配していたらしいのですが、母がうちに送るのを阻止したとか(母グッジョブ!)


なんだーかんだーありながらも、元気に高齢者住宅で過ごしていた豊子さんでしたが、私の帰省のちょっと前に、今度は肺炎で入院していました。

部位は違えど同じ癌サバイバーですし、たまに送るお手紙にも「今度帰省したら遊びにいきますね☆キャハ」的なノリを醸し出していたし、私もいつまた闘病しなきゃいけなくなるかわからないし、豊子さんの死ぬ死ぬ詐欺がいつまで続くかわからないし、会うなら今だ…と、行ってきました。

豊子さんの入院している病院は、地元でもそこそこ有名な総合病院。面会は予約制。

うなぎの寝床のような縦長の病室に、4台のベッドが配置された病室でした。

ベッド脇にテレビ台。テレビ台の前に少し空間があり、それ以外の余白を許さないほどでカーテンで仕切られた部屋。

優雅な豊子さんに似合わない病室だなと思いました。


十年ぶりくらいに会った豊子さんは、小さな体がさらに小さくなり、髪の毛も真っ白でした。

でも、私たちを見ると、体を起こし、しゃんと背筋を伸ばし、笑みを見せてくれました。

あぁ、豊子さんだ。

会話は父よりもしっかりしてるし、握る手は力強く、お元気なんだな…と感じました。

自身も病床にいるのに、私の心配をしてくれていました。返って私が勇気づけられました。


豊子さんは、私たちがお見舞いに行った日の週末に退院し、杖もつかず、スタスタと施設の駐車場から自室に戻って行ったそうです。(四捨五入して100才なのに!)


癌であっても、こんなに生命力に溢れているひとは、そういないかも。

母は相変わらずパシリにされていますが、この漲る生命力を、そばで沢山浴びて欲しいものです。


******

てな感じで、私の帰省は幕を閉じました。

次の帰省は夏かなぁ…


夏は家族+愛犬おいもと帰省予定なんだけど、実家で猫様(父のためのペットセラピー)をお迎えしたようで、おいもを連れて帰って大丈夫かな…



さてさて、お仕事開始いたします。

みなさまも仕事にレジャーに頑張りましょっ!