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毎年2月から4月頃だけ吃りますが、吃リを軽くする方法はありますか、という高校1年生の相談がありました。
誰も回答しないので、私が回答しようとしたところ、文が長すぎるというアラームが出て、回答できません。
それで、私なりの回答を以下に記し、相談者に読んでもらうことにしました。
書き足りないところや、この際だからとつけ加えたところがあり、まとまりがなく、読みづらいと思いますが、とりあえず掲載し、徐々に編集し直していこうと思います。


通常、吃音には季節性はありませんから、“2月から4月頃だけ”という文を目にすると、首をかしげ、回答しづらくなります。そのため、なかなかあなたの相談に回答がつかないのでしょう。

吃音の原因や仕組みはまだ解明されていませんし、従って、吃音の厳密な定義も確定しているとはいえないでしょう。吃音に似ているが、厳密には吃音ではないものも、吃音と呼ばれている可能性があります。

あなたの症状が吃音であるとすると、適正に発音練習すれば軽減できるのではないかと思います。
そのためには、やはり吃音の原因や仕組みをある程度理解していることが望ましいと思います。

まず吃音の仕組みについて、私が推測していることを簡略に書きます。
吃音は、発話を遂行している最中に発話を構成している各運動部分の統合の具合が聴覚または筋運動感覚を通じて脳のある部位に伝えられ、脳のその部位が各運動部分の統合の失敗を判断し、後続すべき運動指令を延期またはキャンセルする結果、直前に発射した運動指令が連続的に再発射されることで発生する、と推測します。
何故、直前に発射した運動指令が連続的に再発射されるのかというと、この部位は各運動部分の統合のタイミングやバランスの調整に関与する専門部位であって、発話そのものの停止には関与しないからです。
と書いてもピンとこないでしょうが、比喩的に書くと、まず、曲がりくねった道を自動車が高速で走っているところを想像して下さい。
自動車はアクセル及びブレーキとハンドルで制御されて走っています。
ハンドル操作は常時行われていますが、緊急時にはまずハンドル操作で衝突を避けるでしょう。ブレーキでは間に合わないからです。
ハンドル操作は自動車の走る方向を切り替えますが、これは発話において各運動指令の発射の切り替えを調整することに相当すると考えます。
ある方向への切り替えを延期またはキャンセルすると、自動車は現在の車輪の方向に連続的に回転し続けるでしょう。
これは、発話の各運動部分の統合のタイミングやバランスの調整に関与する脳の専門部位が直前に発射した運動指令を連続的に再発射させることに相当すると考えます。
タイミング制御は、たとえばA→B→Cと進行する運動において、AからB、BからCへの切り替えのタイミングを調整しますが、それはA、B、Cそれぞれのの継続時間を調整することに等しいでしょう。
発話運動では、各運動部分のタイミング制御はおそらく1/100秒(?)のオーダーの狭い時間枠のなかで行われますから、敏速に反射的に働く専門部位が緊密に関与している、と推測します。
この専門部位がその通常のタイミング制御機能によって仮に上記のBの運動指令の発射を延期またはキャンセルすれば、それはAの運動指令を再発射させてAの継続時間を伸ばすことになる、そういうタイミング制御機構特有の仕組みがあり、これこそは吃音の仕組みの中核部分である、と私は推測しています。

次に、吃音のきっかけになっている発話の各運動部分の統合の失敗とはどういうものかですが。
たとえば「たまご」といおうとして連発になる場合、これは「た」という1拍の時間枠の中で/t/の次に来るべき/a/が欠落した時に発生します。これは、aの欠落を仮に(a)で表すならば、/t(a)/の連続として発生します。
また、「さいふ」といおうとして伸発になる場合、これは「さ」という1拍の時間枠の中で/s/の次に来るべき/a/が欠落した時に、/s(a)/の連続として発生します。
以上の連発と伸発は、聴覚を介して、脳のある部位が1拍内に含まれるべき母音の欠落を判断したことにより発生する、と私は考えています。
難発に抗して無理に話す時に連発や伸発のようになる場合がありますが、私はこれらを連発や伸発とは呼びません。
これらは難発に抗する努力性を伴った連発様または伸発様の話し方であって、連発や伸発にある反射性をもっていないと考えます。
次に、難発はどうして発生するかですが。
たとえば「なかむらともうします」という場合、「な」をいってから次の「か」を開始するのではなく、「な」をいっている最中に次の「か」をいう運動を開始しています。
このように複数の音を発する運動あるいはその準備が同時進行的に展開することは、音声学では調音結合と呼ばれています。
「なかむらともうします」という場合、「な」をいう構えの段階で末尾の「す」までをも含めて全体がなめらかに進行する準備をしており、脳のある部位はそのために発音器官の各筋肉の状態のバランスを感知している、と私は思っています。
この準備が整った上で、「なかむらともうします」が遂行される、と思っています。
連発や伸発は、通常、語頭で発生しますから、吃音者はどうしても語頭の音を強く意識するでしょう。
つまり、吃音者は「な」を発する運動イメージだけを強く意識する結果、「なかむらともうします」と調音結合しながら連続する運動イメージを見失いがちであるように思われます。
脳のある部位は、発話の準備段階で各筋肉の状態のバランスを感知しますが、今の状態では「なかむらともうします」となめらかに進行できないと判断すると、「な」を発する運動指令を延期またはキャンセルし、その結果、直前に発射した準備段階の運動指令を連続発射するのではないか、これが「な」をいう前の硬直状態になるのではないか、と私は考えています。
しかも吃音者はこの硬直状態に抗して話そうと努力しますから、話す時の運動イメージが本来の運動イメージからかけ離れたものになりがちです。
この不適切な運動イメージこそは吃音の予期ですが、吃音の予期が直接的に吃音を引き起こすのではなくて、それが発話の準備段階で運動をなめらかに展開すべき各筋肉の状態のバランスを崩すから、その状態が筋運動感覚として脳のある部位に伝えられ、この部位が今の状態を失敗と判断する、こういう順序で難発が起きる、と考えます。
吃音には必ずフィードバックが関与しており、それが発話運動のタイミング制御機構に入るからこそ、直前に発射した運動指令の反射的連続的な再発射が起きる、と考えます。
また吃音の予期とは、恐怖や不安ではなくて、もっと具体的な運動イメージである、と考えます。

連発や伸発は聴覚を介して発生するのに対し、難発は筋運動感覚を介して発生する、と考えます。
連発も伸発も難発も、脳のある部位が聴覚または筋運動感覚を介して発話の各運動部分の統合の失敗を判断し、後続すべき運動指令群の発射を延期またはキャンセルすることで、直前に発射した運動指令が連続発射されて発生するという点では同じである、と考えます。

以上のように、吃音は、発話の各運動部分の統合のバランスやタイミングの失敗に対して、脳のある部位が反応して発生しているものであって、話す恐怖や吃る不安で発生しているものではない、と私は考えています。
吃音はもっと具体的な制御論的な原因で発生していますから、恐怖や不安がなくても発生しえます。
実際、吃ることを予期しなくても吃る場合があるし、初対面の人とは吃らずに話すのに、親しい友人と話す時に吃るタイプの吃音者も現にいますし、私自身は苦手な言葉をいう時は部屋に一人でいる時でも難発になります。
これを認めた上で、では、恐怖や不安は吃音に関係しないのかというと、間接的に関係しうるでしょう。
何故なら、吃音を発生させる脳の部位は脳の他の部位とも神経線維を通じて連絡しており、他の部位からの入力で失敗を過敏に判断し、反応するようになることはありうるからです。
たとえば促通や反応の閾値の変化によって、吃音の程度や頻度が変化することが考えられるでしょう。

以上を踏まえた上で、吃音をいかに軽減するかですが。

まず、脳のある部位が過敏に反応しないようにする必要があります。
吃音は発語系の制御論的な問題であって、吃音者の人間性や心理とは関係なく発生するものですから、吃音を過剰に恥じてはならないし、自分をダメな人間と思ってはならないということです。
吃ってもよいから、堂々と話しなさいということです。
仮に吃音を馬鹿にする者があなたの周囲にいるならば、その者こそは大馬鹿者なのであり、あなたは大馬鹿者に左右されるなということです。
そういう堂々とした考え方をすることで、脳のある部位の過敏さを抑えることです。
しかしこういう心のもち方だけで吃音が軽減されるとは私は思いません。

吃音を軽減するには発話運動に即して具体的に対応する必要があると思います。
まず、語頭の音をあまり意識しないようにすべきです。
また、発話運動を分析的に捉えないことです。
発話運動を分割できない連続体として捉え、末尾を目指してなめらかに進展する運動イメージを回復することです。
実際の会話の場面を想定しながら、会話体で、たとえば「なかむらともうします」と発音練習することです。
発話の準備段階において「なかむらともうします」を末尾までなめらかにいうための適正な筋肉バランスをよく把握しながら発音練習することです。
単に漠然と筋肉をリラックスさせるということではなく、適正な発話運動イメージをもって筋肉を具体的に制御することです。
ひとつの方法として、「なかむらともうしますーーー」のように末尾を伸ばして発音練習すると、語頭で滞らずになめらかに末尾を目指す運動イメージが回復しやすくなるかも知れません。
あなたは幾つかの言葉だけで吃るのであれば、その言葉の発音練習に集中するとよいでしょう。
使う頻度が高く、かつ重要な言葉に焦点を絞って発音練習すると、
発音練習の成果がわかりやすいし、
成功した時の達成感が大きいでしょう。
使う頻度の高い言葉は、多くの場面で使われますから、それがすらすら話せることは、自信につながります。
そういう言葉として考えられるのは、
自分の名前を名のる言葉、たとえば「福沢諭吉ともうします」。
「おはようございます」。
「ありがとうございます」。
などがあるでしょう。
そういう言葉をたとえば5~10ほど選び出し、それに集中して発音練習するのがよいと思います。
私は会話体から離れた発音練習、たとえば「あえいうえおあお」のような発音練習は吃音軽減にあまり役立たないと考えていますし、また朗読もさほど効果はないと思っています。
会話体から離れた発音練習で発音が明瞭になり、口が軽やかに動くようになったとしても、会話における具体的な運動イメージの回復にはつながりにくい、と考えます。

ついでに、ここで付言しておきたいことがあります。
難発の硬直状態に抗して話す努力を、「話そう‐話すまい」の葛藤と解釈する見方がありますが、それは心理学者流の見当違いな解釈でしょう。
吃音はいわば異常な現象であるから異常な心理によって説明しようという安直な姿勢は、吃音を発語系に即して具体的に研究する流れを阻害してきたし、吃音者に不当な苦しみを与えてきた、と私は思っています。
往々にして感情の背後にものの考え方が潜んでいることは、認知療法という精神療法があることからも認めらます。
吃音は恐怖や不安によって発生するという考え方を信じこむならば、吃音者は本当に恐怖や不安を感じてしまうし、そんな自分を情けなく思うでしょう。
ただでさえ苦しい思いをしている吃音者をさらに追いこむようなことはいい加減に止めてほしいものです。
言語障害の中では、吃音だけがそういう扱いを受けております。

最後に、吃音の相談を投稿した高校1年生の方へ。
質問はなるべく具体的な方がよいです。
また、私はむずかしい言葉を使っているかも知れませんが、あなたは自分で主体的に調べてみてください。

また、私が推測(妄想)している「脳のある部位」とは、小脳(の中間部または中部)です。
この部位は発話運動の失敗を訂正する役割をもっている訳ではなくて、聴覚フィードバックや体性感覚(筋運動感覚)フィードバックをうけて後続する運動指令群のバランスやタイミングを調整する役割をもっているだけですが、吃音においては結果的に失敗を検知するかのような働きをしている、と思います。
吃音は、正常な小脳が発話運動の各部分の統合の失敗を判断し、後続すべき運動指令群の発射を延期あるいはキャンセルしたことによって反射的に起きるものである、と考えます