何かを成し遂げたいけど、結局は1歩も踏み出さずに終わる。

そんな経験ないでしょうか。

 

そういう人たちに対して、「意志が弱い」「目標や期日が具体的でないせいだ」「本気で成し遂げたいと思っていない」などなどの罵声(?)が浴びせられることが多い昨今ですが、果たして本当にそうなのでしょうか。仮に生死がかかっているような場面でも、必ず「生き残るための選択」をするとは限りません。人の心はそんなに単純ではないと思います。

では、「何かを成し遂げたいけど、結局は1歩も踏み出さずに終わる」というのはどういう状況なのでしょうか。私は「1人である状態」だと思います。

 

1人というのはとても自由です。他者から縛られず、ただただ自由です。(自分で自分を縛ることはあると思いますが)

ただ、人間は必要に迫られないと能力を発揮できない、あるいは没頭していることにしか能力を発揮できないのだと感じます。そういう意味では、「成し遂げたい何か」が現在没頭していること、あるいは必要に迫られていること以外の場合は、1歩も踏み出せないのは当然と感じます。しかし、それでもいいと思います。なぜなら、必要に迫られていないということは不要不急ということであり、没頭していないということは興味関心が薄いということなのですから。

それでも、人は「何かを成し遂げたい」と思う瞬間があります。未知への好奇心だったり、自分への呪いだったり、色々な理由があることと思いますが、興味関心が薄く、不要不急ということになると1人で成し遂げるのは容易ではありません。世の中には稀に強い人間が出現し、1人で色々なことを成し遂げていく(厳密には1人で成し遂げているわけではありませんが、最初の数歩は1人で歩きだす)人がいます。しかし、そういう人たちは極めて少数派であり、大多数の人間はそうではありません。

 

そんなとき、背中を押してくれたり、伴走してくれたり、一緒に迷ってくれたり、時には意見をぶつけ合ったりそんなことが出来る人が近くにいると、何かを成し遂げることの難易度がググッと低くなります。何かを成し遂げたいが1人であるという場合は、誰でもいいのでまずは心をほんの少し開いて成し遂げたいことについて話してみましょう。それで馬鹿にされたり否定されても、気にすることはありません。単純にその人とはあわなかったというだけです。人間は35億人もいるようですから、賛同してくれる人はきっとたくさんいます。大丈夫。誰かにうちあけて一緒に歩みだせば、きっと何事も一歩を踏み出せます。