久しぶりに家族のことを書きます。

 
 
ちょうど1週間前、祖母が旅立ちました。
普通の一日をすごし、少し疲れて眠りにつく。
そのままに。
きっと何も苦しまなかった。
それがせめてもの、救い。
 
聞いてすぐにはまったく実感なくて、
少し睡眠不足のまま仕事した。
葬儀も全て終えた今は、
信じられないような、信じたくないような気持ちでいる。
ハッキリとした実感ではなく、でも過去にも流れずに死がまだここにいる。
 
 
 
私の家は、元々父方の実家で3世代家族で暮らしていました。
生まれた時から一緒に暮らしていたおばあちゃん。
何度か実家を出ていた時期を除いて、約30年間を共に過ごしていました。
息子も一緒に暮らしていて、東京で4世代家族は、ちょっとだけ自慢のネタでした。
 
今年の正月、家族みんなでテーブルを囲んでいて、ふとしたときに祖母を視界に入れたまま
「来年はこの風景ではないかもしれない」と思いました。
だから、今年は少し意識しながら過ごしてみました。
おかげで、ほとんどのところで、後悔はないのだけど。
直前の入院していた時、仕事帰りに病院の前を通り掛かりに、
「少し顔を見せようかな」と思いながら、部屋番号を知らないことを理由にして、
見舞いに行かずに帰宅したこと。
何度か気になりつつ、行かなかったことを、後悔している。
 
退院後、在宅介護できる身体状態ではなかったから施設に入って、
週末には顔を出そうかと思っていたけど、その週末はもうなかった。
 
あのとき、見舞いに行っていれば声を聞けたのに。
二度と声を聴けないことが、こんなに辛いなんて思ってなかった。
あの虫の知らせを流してしまったことを、後悔している。
 
 
 
今年の夏前ごろに、おばあちゃんが「靴下か手袋を編みたい」と言い始めて、
メリヤスの平編みくらいしか編んだことない人には難しいぞ~、と思って、
腹巻帽子やマフラーをすすめたけど、「使わないから、使える物がいい」って頑固にも譲らなかった。
私も編んだことのない靴下を、かかとやつま先は手伝うことにして、
作り目して編み進めるポイントだけ教えながら、靴下を編んでもらった。
「最後まで編めるかしら?」って心配していたから、
「できなかったら、私が完成させてちゃんと最後履かせてあげるから」って約束した。
 
前日も編み物していた、と施設の方がおしえてくれた。
片足の、足首からかかとを少しすぎたところまで作られた靴下の、続きを全部編みました。
 
靴下だから、最後履かせてあげることができた。
これが帽子とかだったら、たしかに身につけては行きづらかったもなぁ、なんて思う。
 
 
入院中に、持ってきて欲しい、と言われながら、探しても見つからなかったクッション。
そのことをふと思いだして、もう一度探してみたら、前回探したはずの場所に、しかもおばあちゃんのイスの上に、置いてあるのを見つけた。
お通夜を終えて帰宅して風呂に入っていたとき、おばあちゃんが仏壇の片隅に納めていた写真(おばあちゃんの両親の写真)をふと思い出して、探したらすぐに見つけることができて、お棺に一緒に入れてあげられた。
眠りながら旅立ったから、「おばあちゃん自身が気づいてないんじゃないの?」なんて話していた夜、
夢うつつの中で、葬儀最中のおばあちゃんの介護をどうするか考えていて、
移動先でおばあちゃんが靴を脱ぐのを手伝ったりしながら、「なんで、ばあちゃんの葬儀にばあちゃんが参列してるの?!」って気づいて聞いた瞬間、
それまではいつものように「いたたた」とか「よっこらしょ」なんて言っていたばあちゃんが、
もうただずっと何も言わずにニコニコしていて、
「ホントにばあちゃんだよね?!」ってさすった手は、リアルにおばあちゃんの手だった。
さすがに、感触が残っているではなかったけど、ばあちゃんの手だった。
それで、「あ、ばあちゃんはちゃんとわかっていて、それを知らせに来たのかな」と思いました。
 
 
 
ふと感じたことって、きっとやっぱり大事で。
心に従うことを大事にしたほうがいいんだな、と今すごく感じている。
満足しているのも、後悔しているのも、
そこに従ったか、従わなかったか、
ただその違いしかないから。
会おうと思ったら、もう逃さずに会いに行く。
 
 
おばあちゃんからの生命の連なり。
生まれてきたことこそが、
今生きていることこそが、
この世に産まれた意味で、生きている意味なのだと、思う。