今日はきっと、戦争や平和に関する記事がいっぱい書かれるんだろうな、
と思いつつ、ご多分に漏れず私も書きたいと思います。

以前も書いた通り、私は90歳になる祖母と、ずっと一緒に暮らしている。
よく、当時の話、とくに祖母が木場で受けた東京大空襲の話を聞きながら育った。

私が息子につけた名は[和を希む]という意味の名前。
平和にちなむ名前をつけたいと、ずっと思っていた。

平和って何だ??
その答えは、難しい。

ただそれでも、やっぱり戦争はイヤ。
戦争が起こるような状況に、身を置くのはイヤ。

出産前に、パートナーと別れて実家に戻った。
実家があってよかった。本当に助かった。
仕事を辞めた妊婦に、新しい仕事なんてない。
貯蓄もなくて、家賃も払えなくて、借金しかなくて。

もし実家がなかったら。頼れる状況じゃなかったら。
あのとき、絶望を感じていた私に、生きていく手段なんて何も思いつかなかった。

今、自分も息子も、元気に過ごしている。
その事を、嬉しく奇跡的と思う。
健康であること、仕事をさせてもらって稼がせていただいていること。
幸せであることへの一番の基礎だと思うし、その基礎を得ていることに、感謝している。
今、自分が生きていられることに、感謝している。

祖母が、一歩違えば生まれていはいなかった私。
あの時助けがなかったら、今生きてはいないであろう、私と息子。
今、命があることに、感謝している。

だから、殺し合い殺され合う戦争なんて、2度と起きて欲しくない。
世界中から、真っ先に消え去って欲しい。
間違いなく、戦争反対の立場である私は、だけど声高に言うことへの違和感も消えなくて。
何でだろう?反対、ではあるけれど。

戦争そのものは、もちろん反対であって。
そもそも私は、「チカラヅクで想いや何かを成し遂げようとする」それこそが、イヤでたまらないのだと。
チカラ、腕力や武器といったものたち。それらをふりかざしすことで、相手を言いなりにさせようとすることこそが、イヤなのだと。
そこに、私は強く抗いたい。
むしろ、腕力なんてない。
だから、チカラで押し切られたら反抗しきれない。
だけどイヤなものはイヤ!
それすら、チカラでもって言えなくしてしまうから、どうにもイヤなのです。
そこに対して、一番に強く反対を言いたいのです。
それは、戦争もDVもハラスメントも、同じことではなかろうか。


平和って何だろうか。
戦争の状態でないことは、確かと思う。
非暴力であり、それでもって不服従であり、命があること。
対話によってお互いに理解し合おうとしなければ、成しえない。
それが難しいから、チカラに頼るのかな。相手に迎合してしまうのかな。
だけどココロは、想いは、ねじ曲げられたまま。

理解し合うことは容易くないけど、理解し合おうとすることは、出来ないことではない。はず。
それを、強く世界にのぞんでいる。