あの日から、11年がたったのですね。

2011年2月に生まれた長女も11歳になりました。

 

朝からニュース報道を色々見つつ、

震災特集を見つつ、

あの日を思い返しています。

 

↓2011.313に書いた記事

 

久しぶりに見返しました。

 

 

今日もちょっと思い出しながら、震災について書いていこうと思います。

 

あの日、長い地響きがだんだん近づいてくる音を体で感じながら、

ドーンと大きな揺れが来て、そこから長い揺れに見舞われました。

生後1ヶ月になる長女を守るように抱え込みながら、

家の大黒柱にとりあえずしがみついてうずくまってました。

(なんとなく、この柱は絶対に崩れないだろう、と思っての行動)

 

立っていることさえ出来ない揺れ。

 

家の中から庭を見ると、ブロック塀や灯篭が崩れてました。

ため池の水が大きく波打って、水が噴き出しているのもみえました。

 

揺れと揺れの束の間の間に、

 

祖父の

「外へ出ろー!!」

の声で、母と私も外へ避難。

 

地震のあと、

祖父は真っ先に外へ出ていたようですが、

私は娘を抱っこしていたし、すぐに動くことができず、うずくまってしまったし、

母は台所で油物をしていたので、火を消すことを優先していたようでした。

 

外へ出ても、なおも続く大きな揺れ。

屋根の瓦が落ちてくるんじゃないか、、

それより、家全体が異様なほど揺れているので、このまま倒壊するのではないか、、

という恐怖心。

 

私の地域では、

電気と水は地震直後、使えなくなってしまい、

ガスだけが唯一使えました。

 

…しかし、電気がないとTVみれないし、なにより携帯充電できない。。

 

そんな日に限って、充電ギリギリだったりした。。

 

親戚のおばさんが私に電話をくれて奇跡的につながったけど、

互いに無事を確認したら、もう通話はできなくなってしまい、メールだけでやりとりすることに。

 

今年は暖かい日ですけど、

当時は、寒い日だったんですよ。

まだストーブとかも必要なくらいで。

 

電気使えないから、石油ストーブで暖を取り、

テレビ見れないから、ラジオで情報収集。

そして、大きな揺れは収まったけれど、余震が続く続く…

 

夕方になってくると、明かりが恋しくなります。

 

夜は、

ストーブとろうそくの明かりで過ごして、

暗い中でごはんを食べました。

 

ごはんは、ストーブの上でなにか鍋を置いて作ったものや、

(あと、多分、お正月の餅がまだ残っていて、それを焼いて食べていたかも…)

妹や旦那が仕事帰りに何か買って持ってきてくれたもの、

などで過ごしました。

 

夜、寝るときも皆で居間に布団敷いて、雑魚寝してました。

寝ていても揺れているような、揺れていないような…余震が続き過ぎたので、

そんな感覚になり、気持ち悪くなってあまり眠れませんでした。

 

娘は、まだ母乳を飲むだけだったので、

飲んで寝てを繰り返していただけだったので、その点手間かからずでした。

 

(もしこれが、ミルクだけとか離乳食も必要な月齢、さらにはもっと動き出す月齢だったら…

と思うと、大変さの度合いが違ってきたことと思います)

 

翌日、電気、水道が復活すると、やっとほっとしたのを思い出します。

 

水道はしばらく茶色い水がでていることがあり、

市から水が支給されたり、もらいにいったり、親戚のおばさんが水を送ってくれたりして

水の確保ができました。

 

11年たっても思い出すのは、

大地震の瞬間とその後、

ライフラインが使えず不便になったこと、

水や食料、燃料の確保が瞬間的に困難になったこと、ですね。

 

日にちがたつにつれて、日常は戻ってきました。

 

ただ、電気が復旧してはじめて、テレビをつけた時に見た、東北の映像や

地震の各地の状況にビックリして、言葉がありませんでした。

 

 

あれから、11年がたったんですね。。。

今でも色々大地震の後の被害が残っていて、完全に元通りになっていないこともありますね。

 

あの日を忘れない事と、

今できること、未来につながることを私たちが、日々考えながら、選んでいくことが必要なんだろうなと感じています。