『容疑者Xの献身』 東野圭吾・著
…なにをいまさら、映画にもなった有名な作品を読んだのか、と言われそうですが。
この原作だけは映画を見てしまったため、どうしても読む気になれず、今まで放っておいたのです。
でも、図書館に行くたびに、しつこいくらい(笑)
いっつもおんなじ棚にいっつもあって…
まるで、「読んでくれ」と言わんばかりではないか。。(笑)
…ということで、そんじゃぁ、、と借りて読むことに。
映画をすでに見ているので、ストーリーは把握済み。
原作と映画の相違点は特にみられず、映画でも原作でも、どちらからでもすんなりと楽しめると思います。
逆に、なんにも知らずに映画をみてほうがいいかなぁ。
映画の展開は早いから、「???」ってなるところもあるだろうけど、全体的に原作の雰囲気をよく出しているし、今回の原作を読むにあたっても、私は頭の中で映画のキャストたちを少し想像させて読んでました。
~あらすじ~
弁当屋でほそぼそと生計を立ててくらす靖子。中学生になる娘・美里とつつましいながらも幸せに暮らしていた。
そんなある日…元夫・富樫が金をせびりにやってきた。
今までなんどもあちこち転々としながら、富樫から逃げてきた二人にとって、またもや絶望の淵に立たされる。
そして、靖子と美里は衝動的に富樫を殺害してしまう。
…どうしようか考えあぐねている二人の前に、隣人である石神が手を差し伸べる。
富樫の死体は河川敷でみつかった。警察は容疑者として靖子と美里に目をつける。
しかし、靖子と美里のアリバイは調べれば調べるほど完ぺきになっていく。。
解けそうで解けない。新たなキーが加わるとさらに新たなアリバイが照明されてしまう。
その矛盾の裏には、石神の存在があった。
その謎に挑むのが、湯川先生。偶然にも石神は大学の同期ということが判明。
そして、石神は湯川が天才と仰ぐとほどの数学の才能の持ち主だった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
映画では、さらさら…と流れるようなセリフでどんどん物語が進んでしまいますが、原作ではその一字一句を何度も読み返し、何度も謎解きを考えました。
そして、、この事件解決のトリックは、
P≠NP問題、を表しているんだな、ということに納得。
原作では石神と湯川が数学に関して物議をかもしだすシーンがあって、数学が良くわからない私にはチンプンカンプンなのですが、、
石神はP≠NP問題を今回の事件に置き換えて
「自分で考えて答えを出すのと、他人から聞いた答えが正しいかどうかを確かめるのとでは、どちらが簡単か?」
これにね~~!!
今回の事件のトリックが重要になってくるんですよね。
謎解きがわかったとき、ああ、そっか!ってすごく納得しました。
東野圭吾の作品には、こういう数学の証明モノがちょこちょこ出てくる。。
それが、ストーリーに一体なんの関係あるの?ってわずらわしく思うのだけれど、
フタをあけてみると、ずばり本質はソレだったりする。
前に『聖女の救済』を読んだときに、「虚数解」がでてきましたが、、
この虚数解は、数式にすると、「i(アイ)=?」らしいです。
(ちなみにレオパパは、モロ理系なので、東野圭吾の作品に出てくる数式などはすぐにその意味もわかってしまうという素晴らしい頭脳が!!)
…虚数解をもってしての事件では、愛するがゆえに夫を殺した妻。だがその愛情の深層心理は誰もが予想だにできないものだった。
つまり、、i(アイ)=?、、愛=??ってこと?? なんて、原作を読んで思ったのです。
…という前置きで、容疑者Xの献身のP≠NP問題に戻りますが、
つまり、事件は、
警察が見つけたトリック≠石神が自白した内容 ということ。=(イコール)にはなりませんよってことですね。それを証明したのが、湯川先生。
これが=(イコール)だったら、はい、事件解決ね♪となって、石神の仕掛けたトリックはいよいよ誰にも知られずになったことでしょう。
まぁ、そうなったら完ぺきに靖子たち親子を守ることができたんだけどね!!
東野圭吾の小説で数学の公式がでてきたら、絶対意味のあるものです!
逆に、その数式が何を示しているのか!
それをとっかかりに物語を示していくと謎が解明されていきます。
いやはや、、数学の照明を使いながら事件を解決するという、このガリレオシリーズ、、ほんと、恐るべし!!