古墳案内のおじさんから教えてもろた、廃校を利用した資料館に到着〜
宮若トレッジ
実は、
出口から入ったようで、
入口まで来て(この案内を見て)から
順路を逆からたどっていたことに気がついた。。![]()
どうりで夫とお義母さんの気配が薄かったわけだ。。![]()
というわけで、
写真は入り口から
順序を整えてみます〜
近年、この辺りに大雨で氾濫警報が出る頻度が高まっている気がしていたけど、洪水と改修の長い歴史を持つエリアだった。
竹原古墳の実物大模型。
内部に入ってじっくりみまわす。
上に大きな石の棚が一段ある(石棚付石室)、
サイズ感や、円墳であることなど
香川の久本古墳を思い出した。
形状が似てる
こちらは高松の久本古墳。石の棚↓
小さな周濠が印象的だった久本古墳
📝宮若市内では、竹原古墳と損ヶ熊古墳という2基の装飾古墳が見つかっているよ。それぞれ描かれた色も違っていて、竹原古墳の壁面は赤と黒、損ヶ熊古墳は赤のみで描かれているんだ。どちらにも用いられている赤色は、「ベンガラ」という酸化した鉄が原料の古代からある顔料で、黒色は木炭で描かれていたことがわかっているんだよ。
赤はベンガラ
赤と黒の壁画
⚫︎装飾古墳とは⚫︎
全国に知られている古墳は約20万基ありますが、装飾古墳は全体の1%にも満たない700基弱ほどしかなく、福岡・熊本など九州に集中して分布しています。このほか、山陰・東北などの一部地域にもあります。
絵の内容は、直孤文・円文・三角文など幾何学的な文様のものや、人物、動物(龍・馬・鳥・魚・鹿・)、武器や武具(刀・盾・弓矢・新)、器物(家・船)、蕨手文、双脚輪状文など特殊な文様など絵画的なものなどがあります。
ベンガラと直弧文といえば、、
岡山が連想される〜
子持勾玉
どう見たら “子持ち” で “勾玉” なのか、、
見方がよくわからない![]()
ひっくり返したカタチが、、
舟形埴輪に見えた。。
目の錯覚?!![]()
![]()
『竹原古墳と馬の深〜い関係🩷』
馬に乗るには、馬具が必要。
金属加工。
ハート形・葉っぱ形に十字文の入った
馬具の装飾金具
「心葉形十字文杏葉」
しんようけいじゅうじもんぎょうよう
犬鳴の鉄山
安政元年(1854年)、福岡藩が鉄製武器の製造を目的として築いた鉄山。
石見国から職人を招き、技術が伝わったたたら製鉄の拠点だったとな
「たたら製鉄の技術指導は、石見国から来た職人によって行われていた」
「石見国から鉄を作る職人を呼び犬鳴に定住させた」
「彼らの墓は “旅人墓” もしくは、“炉人墓” とも呼ばれ、技術を伝えた石見国の職人への敬意が表れている」
表に出るのは鉄山だけど、裏で支えてるのは山そのものという。
炭焼きといい、たたらといい、裏方の人たちが登場する『もののけ姫』のタタラ場や、『鬼滅の刃』の炭治郎の暮らしを連想する。
そういえば父も、幼い頃に秋田で炭焼き小屋の手伝いをしたり、労働のための馬を飼っていたという。
炭焼きや馬との暮らしは、結構近い時代の記憶なのだね。
高度な金工技術と馬文化の広がり。
直弧文が入ると、石の加工も想像する。
管玉 ・ 勾玉 ・ 切子玉
平安時代から続く信仰の歴史
宮若のの西側の山麓には多くの寺社・仏閣が現存している。
犬鳴山系は、宝満山伏の峰入り修行のルートに位置し、清水寺(せいすいじ)や、靡山(なびやま)の護摩壇場は、かつて修験者たちが祈りと修行を重ねた聖地だったそう。
ところで、
犬鳴山といえば、こっちが有名かもしれない
“旧犬鳴トンネル”
十年ぶりに旧犬鳴トンネル(の手前)に行ってきた!バリケードには怒りのほとばしる警告文が。まさに「この先、日本国憲法つうじません」を思わせる文章⋯⋯。 pic.twitter.com/YSBEJtakHC
— 吉田悠軌 (@yoshidakaityou) 2026年5月8日
『Youtuber・インフルエンサー各位
ここで撮った映像を不道徳な編集により公開された映像について、発見次第、「低評価」とSNS運営に「通報」します。』
画像はお借りしました
怪談話が絶えず、肝試しスポットとして知られるようになった旧犬鳴トンネル。地元としては、かつて歴史ある聖地でもあったことから頭の痛い問題なのかも。
福岡藩士の隠れ城
犬鳴別館
元治元年(1864)
幕末の緊張した時代、福岡藩の居城であった福岡城が、海に面していて海上攻撃に弱かったため、有事の際に藩主を守る目的で犬鳴の谷に作られた施設が犬鳴御別館。
犬鳴は谷が深く、外から攻め込みにくい地形で、天然の要塞のような場所だった。
福岡藩は外国との戦争に巻き込まれることはなく、この備えが本来の目的で用いられることはなかった。
「石州石見」
島根産の石州瓦は耐久性高し
犬鳴別館藩主館 見取図
『石炭、川の旅』
遠賀川を行き交った「川ひらた(五平太舟)」は、筑豊の石炭を運んだ水上輸送の主役。底が浅く幅の広いこの船は、年貢米や木材だけでなく、炭鉱業の発展とともに大量の石炭を積み込み、遠賀川流域から芦屋や若松の港へと運び続けた。遠賀川はまさに筑豊の産業を支えた“水の道”だったのである。
遠賀川流域から、芦屋や若松の港へ行き来するひらた舟。
こうもり塚古墳の「巨石は舟で運ばれた」という話から、岡山のオリエント美術館で見たピラミッド建設の絵や、鬼ノ城の鍛冶炉跡が重なる。
ちょいと前にした話に戻りますが、
カタカムナウタヒ
吉野信子さんの話を思い出した。
宇宙の秘密カタカムナ 日本から 始まります・ 封印を解く!StarSeedChannel-スターシードチャンネルより
「北部九州のいちばん海のところに宗像三女神・宗像大社っていういうのがあるんですけど、そのすぐ近くに芦屋町っていうの。」
『宗像の近くの芦屋町(福岡県)が茶釜の郷で、“カタカムナ”というのは茶釜から始まっている。』
楢崎皐月先生が満州に戦時中いらっしゃったのは、鉄の技術者として鉄をたくさん作るため。
あちこちに工場を建てたんだけど大地のエネルギーの違いで品質がまばらになって、どうしてなんだろう??と悩んでいた時、近くにお寺があって老子廟で廬有三という導士がいらっしゃって、お茶をいただいた機会があった。
廬有三が茶釜に葉っぱを5、6枚を焚べて火をつけたら、あっという間にお茶が沸いたのを見た楢崎皐月。鉄の専門家としてはあり得ない。
超伝導の葉っぱ5、6枚でお茶が沸くとは。
これは茶器に秘密があるのでは?
研究させてほしい!となり、茶釜を譲ってほしいと言うと、廬有三が言った。
「これは日本から来た。だから日本へ帰ったら探しなさい。アシヤ族という人たちが作っている、八咫鏡文字っていう文字を書く人たちが作ったんだ。」
それで終戦後、楢崎皐月先生は日本へ帰り「アシヤ」を探すんですが、だから芦屋の六甲山・金鳥山へ行ったんです。
楢崎さんは福岡にも芦屋があるということは知らなかった。
改めて見たら、めちゃタイムリーな話しとる。。
時間・空間・ゼロポイント
マカバコクニは48音になる。
バベルの塔の前には一つの言葉だった。
世界とやると、66
心とやると、66
心と世界は一緒、66
あ、やばい。
今日って6月6日じゃない!?![]()
6月6日ダァーーー!!
と、いま興奮気味に夫に言ったらまったく動じてない。。![]()
時間空間ヒフミヨイ
カミは人間だった
神はあなたの心の中にある、ココロだよ
あなたと私はつながっている。
メモが止まらんで文字制限出ちゃった💦
ので
つづく





































