「月日は百代の過客にして」
「行かふ年も又旅人也」
"月日"や"年"
という大きな流れ自体が旅をしていて
そのなかで人は
"生きる"
という旅をしている
つまり
"旅のなかで旅をする"
それはまさに
大きな旅人の掌(たなごころ)のなかで
無数の小さな旅人が旅をするようなもの
芭蕉が詠ったそれを
自分なりに意訳すると
人生はまさに
"月日"や"年"という大きな波の上を
サーフィンしているようなものではないか
と
静かに後方を見つめ
これはという波が来たら
一生懸命パドリングして
何度も失敗しながらようやく
ボードの上に立つことが出来て
それでも何度となく転んで
それをこの星で毎年生まれる
数億の新たな旅人とともに始め
ある人は波に恵まれることなく
ある人はパドリングも出来ず
ある人はボードに立つことも出来ず
なんとかライド出来た人のなかでも
転んで波にのまれていく人が絶えず
そう考えると
ずっとライドし続けてこれたこと
生き続けられていることに
感謝せねばと思います
それと同時に
芭蕉のようなひとり旅
人生でやり残したことリストに
加えておきたいと思います
