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絵本でもなく
漫画でもなく
活字の羅列である
いわゆる「本」というものに
夢中になり始めたのは
小学三年生の頃でした

それから37年
おそらく一日たりとも
「本」を読まなかった日はない
そう思えるほどの
活字中毒に成り果てました

きっかけはシンプルでした
父親の仕事(転勤)で海外へ
当時の現地ではテレビ番組も少なく
おそらく
「情報」に餓えていたのでしょう
通っていた日本人学校(小学校)の
小さな図書室にあった
江戸川乱歩の「少年探偵団」
手にとったときの情景は
今でも鮮明に思い起こせます

明智小五郎シリーズに夢中になり
読了してしまったときの悲しみといったら
そりゃもう結構なもので
その後は本棚にある「本」
それこそ片っ端から
読んでいたような気がします

帰国した1981年
中学一年生の頃にはもう
「なんとなく、クリスタル」
なんかを手にとるようになっていて
「大学生って馬鹿なんだな」
「こんな(内容の無い)のが芥川賞候補か」
なんて偉そうな読後感
抱いていましたので
なんともいけすかない
小僧であったように思います

京極夏彦著
「書楼弔堂(しょろうとむらいどう)」に
次のような一節があります

"本は内容に価値があるのではなく"
"読むと云う行いに因って"
"読む人の中に何かが立ち上がる"
"そちらの方に価値があるのでございます"

"同じ本を読まれても"
"人に依って立ち上がるものは異なりましょう"
"どれだけ無価値な内容が書き連ねられていたとて"
"百人千人が無用と断じたとて"
"ただ一人の中に価値ある何かが生まれたならば"
"その本は無価値ではございますまい"

"本当に大切な本は"
"現世の一生を生きるのと同じ程度の"
"別の生を与えてくれるのでございますよ"
"ですから"
"その大切な本に巡り会うまで"
"人は探し続けるのです"

果たして自分が
これほど高尚なことを思い
毎日活字に向かっているのか
向かえているのかはわかりませんが
"本"には相当救われており
"本"のない人生は考えられない
それはたぶん
間違いないと思います

さて
雨のチューズデー
参りましょう
今朝は雨で出走ならずでしたので
なんとなく身体が気持ち悪いです