"あ、しまった
"相手は勤め人なんだった"
会社を経営していたとき
よく思ったこと
同じ件で話しているのに
どうも話がかみ合わないな
と思っていたときに
よく気付いたこと
経営者と勤め人では
なにを話すにしても
"前提"が異なる
"前提"が相応しくなければ
"視点"
"尺度"
"定義"
"覚悟"
"立場"
が異なる
としてもいい
"どちらが正誤ではなく"
"その間での交信は"
"異文化コミュニケーションであること"
"それを強く自覚した上で"
"話すようにしないと"
なんて思っていたことも
今となっては懐かしい
細かいことを言うと
組織のなかでも
"部下のいる人と部下のいない人"
"その間の交信も"
"異文化コミュニケーションである"
そんな自覚も必要だと思う
なぜなら前提その他が
やはり異なるから
が
大枠で言うと
上に人がいない人(経営者)
上に人がいる人(勤め人)
の間がもっとも大きな
隔たりがあると思う
前置きが長くなった
最近の自分
すっかり
"勤め人"になっているように思う
正確に言うと
"思考が勤め人寄りになっている"
と思うことがしばしばあり
そう思うたびに
ひどい自己嫌悪に陥る
会社経営を経てきているのでかなり
経営者寄りの考え方をするほう
だと自分では思っているが
自分の発言内容を
あとで反芻してみると
組織論寄りの話が
多くなってしまっているような気がする
自分ひとりで獲物を探求めて歩き
自分ひとりでターゲットへのアプローチ方法を考え
自分ひとりでアタックし
自分ひとりで傷を負いつつ
自分ひとりで食糧を確保し
自分ひとりで喰らうかまたは
家族にそれを分け与える
そして日が昇るとまた
自分ひとりで獲物を探して歩き始める
あまりよく考えず
見当違いなところを歩き回れば
やがて体力を消耗して
野に骸を晒すことになり
ターゲットへの目測やアプローチ方法を誤ると
逆に相手の餌食になり
肉を引き千切られハラワタをえぐり出されて
無残に絶命する
そんな
過酷だけどシンプルな生き方のほうが
自分に合っているように思い
流れ流れて今の自分があったはずなのに
気が付くとすっかり
安定思考が身に付き
"自分がやらねば自分が死ぬ"
というヒリヒリするような感覚が
薄れてきてしまっていることが
自己嫌悪に陥る原因かもしれない
そのくせ組織に居る
"評価"や"待遇"を気にしがちな人間には
「自分で歩いて」
「自分で血を流して」
「自分で獲物を捕れるようになってから言え」
と
厳しい視点でものを言ってしまう
組織に居るのに
組織で戦っているのに
組織での戦い方を十分に認識できてなくて
すべての人間に"プレデターであること"
を求めてしまうところは
やはり改めるべきところなのかもしれない
しかし
組織だといかんせん動きが鈍い
向き合うは社外のはずなのに
気が付くと対処しているのは
社内事情ばかり
誰が何々と言っている
誰々さんの考えは違う
それでは誰々さんが浮かばれない
誰々さんも正当に評価されるべきである
より良い環境を!
思いやりを!
愛と平和を!
次々と持ち込まれる
そんな話に翻弄され
本来自分が果たすべき役割を
十分に全うできてないことも
自己嫌悪やストレスの原因なのかも
だから今年は
今の会社にお世話になって
10年目になる今年は
今一度
当初の自分に戻ろうと思う
一年が終わったあとに
集大成だと思える結果
出そうと思う
"付き合い悪いけど"
"コミュニケーションも少ないけど"
"なにをやってるのかよくわからないけど"
"とにかくすごい実績を作り続けている"
そんな
助っ人外国人選手みたいな存在に
今年はならないと
目指せバース
目指せブーマー
だな
今年は
