"去る者は追わず"
そのように考えるタイプなので
"慰留"という行為は
原則しないし
したくもない
慌てて"慰留"するぐらいなら
なぜもっと早く
去ることを決めた者が発するアラート
それに気付いてやれなかったのか
それに十分対処してやれなかったのか
そう考えることもあるが
もしかしたら単に
"冷たい人間"なのかもしれない
しかし
去ることを決めた者も
それを決めるに至るまでは
相当悩み苦しみ
検討と熟考
自問自答を重ねようやく
たどり着いた結論であろうから
それを尊重せず
単に目先の自己都合だけで
ひたすら"慰留"し
なんとかして辞意を撤回させようとするのは
いささか手前勝手な気もする
逆に"去る者"がもし
悩みも苦しみもせず
検討も熟考も自問自答もせず
一時の感情だけで
将来計画もなしに
安易に去ることを決めた者であったのなら
これはもう
"慰留"には値しない
よって
辞意を聞き
次は決まっているか?と質問したときに
「とりあえず一旦身体を休めます」
「少し考えたいと思います」
みたいな回答をする者には
そうか頑張れよ
ぐらいしか言ってやれないし
それ以上言う気にもならない
辞意を口にされるのは辛い
一方的な意見を言うと
"これまでに掛けた時間と労力を返してくれよ"
そんな風に思わないこともない
しかし
"去る者"と"去られる者"
両者の関係をそう変化させるに至った
プロセスに於ける瑕疵は
労使双方に均等にあると思う
ゆえにそのような事象に遭遇した場合
両者ともに己のことを反省すべきであり
その場に及んでまだ
"相手になんとかしてもらおう"
※この場合は辞意を撤回させる(使用者→労働者)
※辞意を撤回するに値するに条件を引き出す(労働者→使用者)
というのは
フェアなトレードではないと思う
また
"慰留"という行為は
"使用者"が"労働者"に
一定の譲歩を示すことにもなり
そのような関係を築いてしまって
仮に元の環境に戻せたとしても
そこに健全な関係は
とても成立しないのではないか
そんな風にも考える
去る者
去られる者
いずれにせよ
普段からもっとキチンと接していれば
そのような残念な事態には
陥らなかったはずだ
だから
事そこに至った場合は
"そのような巡り合わせ"であり
また
"なんらかの気付きの機会"と捉え
そこからまた新たな何かを
考えていかねばならないのだと
強く思う
"去る者は追わない"が
"去られるようなことをしない"こと
それが肝要なのではなかろうか
