9月14日、ソワレ、無事に間に合って、見てきました。
感想は画像、文字などでだいぶん、あけます、内容は薄いものの、感想にネタバレ無しは無理なので。
1930年代・京城。セフンはカフェで驚くべき話を耳にする。亡くなった小説家ヘジンと恋人の“ヒカル”が共作した小説が出版される、しかも謎に包まれたヒカルの正体まで明らかになるという。セフンはヘジンの友人でもある小説家イ・ユンを訪ね、とある理由から出版を止めるように頼む。だがイ・ユンは頼みに応じないどころか、ヘジンがヒカルに最後に宛てた手紙を持っていると嘯き、セフンにヒカルの謎を明かすよう迫ってくる。なんとしても手紙を手に入れたいセフンは、隠してきた秘密を語り始める—。
東京に留学していたセフンは、自身が日本で使っていたペンネーム「ヒカル」の名前で尊敬する小説家・ヘジンに“ファンレター”を送っていた。手紙のやり取りを通して2人は親しくなっていく。
その後、京城に戻り新聞社で手伝いを始めたセフンは、文学会「七人会」に参加したヘジンと出会う。だが、肺結核を患っているうえにヒカルを女性だと思って夢中になっているヘジンに対して、ヒカルの正体を明かすことは出来なかった。これまでどおり手紙を書き続け、完璧なヒカルであろうと決心をしたセフン。ヒカルはどんどん生きた人物になっていく。
そんな中、セフンが書きヘジンに送っていた小説がヒカルの名前で新聞に掲載され、ヒカルは天才女流作家として名を知られ始める。ヒカルの正体が明らかになることを恐れたセフンは―。
キャスト
チョン・セフン:海宝直人
ヒカル:木下晴香
イ・ユン:木内健人
イ・テジュン:斎藤准一郎
キム・スナム:常川藍里
キム・ファンテ:畑中竜也
キム・ヘジン:浦井健治
16日早朝に写真とったクリエ。
私、最近、思った以上につかれているっぽく、
16日見て、夜遅く帰ると、来週からのまた忙しめ週間を乗り越えられないような気がして、
14日に観たあと、飛行機が空席あったので新幹線じゃなく、16日AMの便で楽して帰ってきました。
そんな人が書く感想です。
まず、見ながら考えたのは、これは韓国だと、どの程度のニュアンスで「日本語」使用を強制されているという事実を、演劇上で出してるのかな?と思ったのだけど。見ているうちに自己解決。
→日本にいる私たちなら、昭和20年8月6日に広島弁が聞こえたら、なんの説明なくてもあっ!って思うし、2011年3月11日に舞台が暗転でもしたら、あっ!って思うし、もう説明のいらない事実なんだろうな、ってことで。
これを日本の観客にまず、この設定をすっとわかってもらうほどの説明はしていないんでしょう、と自己解決。
そこを乗り越えると、
日本は大きなくくりで言えば(地域によりあったとおもうが)無理やりに、言語や宗教を押し付けられたことは経験していないけれど、自分たちの言語で、何かを残すこと、
意味がないと世の中的に言われることも、だれか一人のためになるなら、エンタメも芸術も意味がないことはない、というメッセージを感じました。
先生が、ヒカルっていう女性が本当に日本人の女性であると思い込んでいる姿を見て、セフンがもう引っ込みがつかない、言い出せない、どうしよう!っていうのも、現代でもあり得るか、SNSとか、とは思ったのですが…
私は、ドラマとかにあるあるの、「いいだせない」「言わなきゃ」「でも言えない」系の話が個人的に苦手で、ささっといえばいいのにといらっとするんで。(若いことから歯に衣着せぬ言葉言いで損ばかりしてきた)ああーつらい…
と思っていたが、海宝くんの浦井先生への思慕、キュンキュンしてるのを愛でる時間だと思い込んで、乗り越え。傷の手当されてるのとか、恋する乙女でした。
木下晴香さんが出てくるところが、モーツァルトのシーンみたいだなあ…とか
浦井ヘジン先生が泣き崩れる姿が、お洟も涙も御涎もだーだーだな、とか
個人的には木内イユン大先生の存在が一番、共感できるわー
演劇ぽく、セリフもおおいし、歌もささやいたり、上手じゃないと、安定しないだろうなーと思いました。皆さん、歌安定してて、耳に優しかった。ですが、咳き込む人が近場で、ちょいちょい、つらかった。
すすり泣く声も聞こえるのだけども、でも私としては、泣きポイントはなく、
あとどれくらいかしら、なんて、時計をちらちら見ながら観劇してた感じだったので、
泣き上戸の私が泣かないとは、私はよっぽど疲れているな、と思って、帰りを早めることにしました。
10月兵庫の大千秋楽は見に行こうとは思っています。そのころには入り込めるだろうか