
こちらに書いたように、土曜ソワレの禁を犯してまで(来年から施行予定)、たどり着いた、海宝カジモド。
5分前にたどり着いたので、キャストボードは斜めですが、すぐに着席。
あまり座る事はない、2階席。5列目 上手側でしたけれど、意外に見える。
センター寄りなら2階席もいいかもしれません。全体的に把握しやすく、カジモド登場時の海宝君の動きから、他の、色々な仕掛けも分かりやすくて、いい。私の視力だと、きちんとカジモドの時の表情も見えた(ような気がするだけかも)。一回くらい、前の席の時に観たいのが正直なところです。
そんな座席からのマイ初日です。
これから作品を観られる方は、絶対に読まない方がいいと思います。海宝カジモド観ていない人も先入観もつのがお嫌なら、読まない方がいいかと思います。
すでに観た方も個人的な思い入れの強い感想なので、読んでもわけわからないかもしれません。
とにかく、衝撃を受けすぎて、自分の最初の気持ちをつらつらと書くだけになりそうです。
ということで間を空けます。色々長いです。

カジモド 海宝直人
フロロー 芝 清道
エスメラルダ 岡村美南
フィーバス 清水大星
クロパン 阿部よしつぐ
【男性アンサンブル】
鈴本 務
安部三博
大空卓鵬
賀山祐介
高舛裕一
平良交一
佐藤圭一
吉田功太郎
【女性アンサンブル】
小川晃世
大森真理
吉田絢香
原田真理
【男性クワイヤ(聖歌隊)】
永井崇多宏
柳 隆幸
見付祐一
日浦眞矩
青井緑平
新井 克
山﨑聡一郎
和田ひでき
【女性クワイヤ(聖歌隊)】
遠山美樹
辻 奈々
青柳歌奈
千田みゆき
谷 明実
河村古都
秋山知子
杉山由衣
道化の祭りの朝、みんなに恐れられる「フロローが説教を始める…」と、芝さん本人も含め、語りつぎ、フロローとカジモドがおじと甥の関係であることが説明される、この流れにまず、ストプレっぽいなあと。
フロローと弟(佐藤圭一さん)は教会に引き取られ、キリストの教えに従って生活をしていたけれど、フロローと異なり弟、ジェアンは自堕落な生活を送り、ジプシー(小川さん?)を教会に連れ込んでいたことを神父(平良さん)に嘘をつけず、言ってしまったフロローのせいで、弟は追放。
フロローは修行を積み、病に倒れた弟から、ジプシーは死んでしまったことと、2人の間にできた子供を託されるが、奇形のあるその子供(カジモド)を殺そうとするフロローを石像たちが取り囲むシーンも迫力がありました。
教会に囲まれてそこから、成長したカジモドが登場、このとき海宝君は普通の海宝くんですが、
「どこに違いがあるのだろう」と美声で歌ったあとに、舞台上で、あのカジモドになります。2階席からだと、後ろ向きで髪をモシャモシャする姿が良く見えました。
そこからはずっと海宝君は、カジモド。しゃべり声は一切、海宝君ではないし、「陽射しの中へ」も歌いだしはその声から歌い始めて、歌声きくと、次第に海宝君になっていくのがわかる。
カジモドの時はずっと顔は骨変形して顔貌が変わった肉体的特徴をマスクなしで、最後の最後まで、演じきってきました。
顔もですが、すごいと思ったのは手です。手が綺麗なので、余計に目が行くところではありますが、あの手の動き、ドラマで良くみかけられ、良く演じられるものですが、不安が強いときや隠しごとをしているときに、強くなり、必ずしも一定の強さではないことなど、良く勉強されたんだろうなあと。
海宝君のカジモドは、純粋な「子供」でした。
私個人としては、子どもと大人の違いは「嘘がつけるかどうか」「言葉の裏の意味が読めるか」だと思ってます。大人になるっていいことなのか?
子どもはある一定の年齢まで、家族内という狭い世界で生きてる、守られているけれど、ある程度の年になったら、家族以外の世界に少しづつ触れて行かないといけません。
ある程度自分を守るための嘘(ついても良い嘘)はつかないと自分が守れないし、
言葉の意味をそのままとらえたら、とんでもないことが起きるかもしれない。その言葉を言った人の雰囲気や表情、前後の意味を学びながら、成長していくんだと思います。それが自然に身に付きにくい特性のある子どもも生まれながらにいますけれど。
カジモドは、醜いから、出て行ったらいじめられる、とフロローに教えられ、教会の中、塔の中、聖域、サンクチュアリで純粋培養で育ってきたから、そういう意味では子どもというか、赤ちゃん。経験がないから、成長はしていないし、学んでいないから知識という意味では育っていないと思います。多分、学習させたら、知識は身について、中身は年齢相当に育ったはず。
それなのに、姿形は成人+分かりやすい身体的特徴。
道化の祭りでものを投げつけられるシーンはこっちは「あかちゃんをいじめないで」と思ってしまうため、感情移入しまくりで悲しくて。
「孤独は安全」、と塔にこもる自分のもとに、来てくれたエスメラルダに優しい言葉を掛けられても、若い男特有の不純な心はないよ、きっと、母に近い感情だよ、と思うので、ほほをたたくフロローに腹が立つし。
でも、「好意」にはいろんな意味あいがあるから、気を付けてよ!と健気さに涙。
でも、だんだん、閉じこもっていた聖域から外の世界に触れて、成長しようと行く過程で
フィーバスとエスメラルダの関係が自分が踏み込めないところだと気づくあたりが、切なくて、涙。
「白と黒以外の存在をみとめるか」これはどっちが大人か。
外に出ようとして、やはり傷つくのが嫌でまた閉じこもりたい、石になろう、と言う歌も聴いてて辛いのですけれど、そこを乗り越えて、助けようとまた飛び出していくところは、成長。
最終的に、フロローを許せなくて、自分の手で…
フロロー殺したら、自分がどうなるか、そんなこと考えると、適当なところで折り合いをつけて清濁併せのむのが大人なのかな…
エスメラルダも「お前もまだ子供だ」とフロローに言われ、フィーバスは、フロローの条件を飲んで生きてほしいようだったけれど、それが無理なエスメラルダはやはり「子供」なのか。
純粋な子どものままでは生きて行けないんだなあと、少し成長したカジモドの本来の年齢相当の大人にはなっていない、青年姿(相当な美青年)に戻った海宝カジモドを観て、涙。
最後のカジモドの数年後のことの語り聞いて、涙。
と涙ポイントがすべて海宝君でした。
大人と子供について考えるというポイントがずれた観劇ポイントですが、ちゃんと普遍的なテーマことも。
道化の祭りのシーンが一番切なくて、止めて!だったんですが、見た目がわかりやすい人を差別して石を投げることは、ないと思いますが、自分と違うものを排除したい心って、良く考えたらこういう差別の心って自分にないつもりでもやはりあるなあと。
最近、外国の方がふえて来て、日本語でも通じにくいニュアンスの事を説明して理解してもらう事は難しいので、嫌だなあ、来てほしくないなあと、思ってしまい、冷たくはなっていないかしら、と。
理解力の差がある人が立て続けに来ると、冷たくなっていないか。
いろんな人がいて、いろんな立場の人がいるということを、ちゃんとカジモドの異型性を個性としてちゃんとフラットに受け入れられたエスメラルダのような人になって、そういう人が増えると、いつの日か、良い世界がくるんでしょうね、とSomedayもいい曲だなあと、思いました。
エスメラルダは面倒なことに巻き込まれたくないと、みて見ぬふりをすることもせず、姉御。こういう「おせっかい」心も大切ですね。
海宝君、良い男っぷりを全く消してしまって、すごい役者さんだと思いました。だからこそ、最後の姿やカテコの笑顔のギャップが!これはますます、ファンが増えていくことでしょう。歌はもちろん良かったのですが、演技部分にものすごく引き込まれてしまいました。
これ見ちゃうと、次がこことの比較になってしまいそうなそんな予感があり、取りあえず、昨日書いたアイパッドでの書きにくい感想誤字脱字直してアップ。
ここだけ、今日加筆。
今日の達郎カジモドをみて、フロローにイチゴもらうシーンで、昨日が特別だったのか?と。フロローがイチゴを渡すときに、イチゴが床をコロコロ転がっていったのを、海宝君が不自由そうな指の動きで床から拾い上げて「拾えました!」と不自由な表情のまま言うのが健気さ倍増。あの瞬間からフロロー、礼儀とかいいつつ、イチゴは転がして渡すんかい??と一気にフロロー嫌いになったんですが、ハプニングだったのねと。