覚えてなくていいことばっかり覚えてるから。


小さいときから泣いてばかりで、
泣きはじめたら吐くまで泣くくらい
めんどくさい子だったけれど。

タイミングの悪さだったなと思う。

慣れ親しんだおばあちゃんの家から引っ越して
新居に住むことになって、
ちょうど弟が産まれて。

環境が変わって、一番のカワイイも弟になって
家を建てる工事で、庭にあった
私の一番好きだったミニ公園は撤去されて

微妙な心境を発散させる暇もなくて、


居場所が揺らぐ不安と
今までもらってた愛情の変化と


今なら、わかる。





外がどんどん怖くなっていったのは
元々の性格も問題があったのだろうけど。


それでも、今なら言える。
恐かったこと。


自分の好きな場所は次々になくなる。

タイヤのブランコと、
木苺生えてるだけの手作りミニ公園。

おじいちゃんの畑にあった
すっぽりからだ全部隠れるくらいのくぼみがある大きな土の山。

ひんやりしたくぐり穴がある
でっかい石造りの滑り台。

全部が全部無くなったけど
今でも覚えている大好きな場所。

無くなっていくこと。
いつも。のことがちがくなること。

あるときすっごく寂しくてどうしようもなくて
母にただ会いたくて、まっすぐに家に帰って
やっとついた!って開けた玄関の

だーれもいない薄暗さだとか。


こういうの。どうしたらよかったのかな。 
こどもごころにチクチクした。へんな感覚



誰も悪いことしてるわけじゃないのに
私は確実に消耗してってた。


自分の家に自分の茶碗が、箸が、歯ブラシが、
自分だけ。無いこと。

他の兄弟のものがそうなったら、母は。
明日にはすぐに揃えたでしょう。

でも私の分はたとえ自分が壊しても、
ごめんねもなく、
買えばいいじゃない。の逆ギレで。

どう話しかけてもヒステリックで。
普通の会話が出来なくなったりとか

好きなキャラクターの、自分で買ったバスタオルがある時急に縦半分に割かれて使われてたりとか。


私ってどういう存在なの?って問いに




 居候みたいなもんじゃないの?


ってなんてことなしに
残酷に響く言葉もらってしまったり
だとか。


私の心のもちようであった部分も
たくさんあったと思うけど。


だから私はもしゃもじゃしたのだと。
思う。



高校生になって即バイトをはじめて、
自分の価値とかいる意味とかその対価だとか
全部をもらって楽しすぎて。


そくことが好き。


ある意味良かったって思うのは
趣味が料理とか、そもそも好きなことが
お金にもなるし、生活にも役立つことだったってことで。


働いて学校行って家のなか
母との仲良しせめて、普通に会話できるくらいになりたくて
どったんばったん悪足掻きして


なんじゃかんじゃ。


ここまで来たの。
   


一人暮らしの解放感と気楽さ
大好きな人と過ごす時間