親愛なる方へ。

いつもブログを読んでくださりありがとうございます。

初めましての方も、どうぞよろしくお願いします。

お元気でお過ごしですか。

私は、娘が彼氏の家にお泊りに行ったり、夫が車中泊で一人旅したりで、ひとり時間満喫していました。

あと、インターネットを見てしまうと、「毒親」「義父母」「介護」など、心がどんよりしてしまうワードを検索してしまうので、ネット環境からちょっと離れていました。

毒父とは、もう5年間遭っていません。

幼少期から結婚前までは、過干渉、支配、暴言暴力、教育虐待、ネグレクトで育てやがって、結婚後はアポなしで家や職場に凸してきては威張り散らして、はっきり言って大迷惑でした。

私の人生をぶち壊し、毒父が決めた人生のレールを無理やり歩まされた恨みは一生忘れない。

毒父は妻を大事にしなかったので、40歳になったばかりの頃に自死で先立たれ、とても寂しい思いをしていたのだと思います。

毒母は専業主婦で重度の精神疾患、実家は祖母と兄夫婦が同居しており、経済力も逃げ場もなくて離婚できなかった、死ぬしかなかった。

毒父には娘が3人いたが、みんな結婚したら家には近寄らないし、姉妹差別で育てられて、姉妹仲も大変悪いから完全に絶縁状態です。

毒父からも、毒母からも、ずっと酷い目に遭わされて、実家は魔の巣窟で、安心して帰れる家ではなかったし、頼れる親もいなかった。

私は強制的に同市に住むしかなかったので、毒父は私を自分の寂しさを埋める道具にしたんです。

そして、お前のために、こんなに金を出してやったのに、尽くしてやったのにと、全部毒父本人の為になのに、恩着せがましく言ってきて、罪悪感を植え付けてきました。

夫にも娘にも多大な迷惑を掛けて、娘の大学の入学式に呼んでもいないのに付いてきて、こんなところ大学じゃない!と式典を滅茶苦茶にして、娘の思い出を汚したので、出禁にしました。

私は、この毒親が!と今までの恨みつらみを吐いたわけではない、ただ携帯のメッセージに「お父さんが怖くてもう会いたくありません」と伝えただけです。

多分、ずっと共依存だったんですね。

その日以来、毒父とは一切の交渉を断っています。

脳出血で倒れて長期入院したときも、面会に行っていませんし、連絡先や保証人にもなっていません。

毒親というものは、自分が子供にしてきた悪いことは全部忘れてしまうのです。

そして自分は正しいことをしてきたと信じて疑わないのです。

そんな人に関わってはだめです。

今度こそ自分の心が完全に壊されてしまいます。

幸い地域包括支援センターとは繋がっていますから、家で自力で生活出来なくなったら、自分のお金を全部使ってどこぞの老人介護施設に入ってください。

遺産は一銭も要りません。

ときどき毒父との日々をフラッシュバックしてしまい、強い怒りと恐怖で体調を崩して寝込んでしまいます。

もう私は自立したのだから、自分が幸せに生きていける道を探して、毒親のことは過去のかすかな思い出として忘れられたらいいですね。

それではまた更新します。

最後まで読んでいただきありがとうございました。