親愛なる方へ。

いつもブログを読んでくださりありがとうございます。

初めましての方も、どうぞよろしくお願いします。

お元気でお過ごしですか。

私は更年期のほてりで、身体がカッカしてしんどいけれど、ほてりやホットフラッシュは、自律神経の乱れらしいので(インターネット調べ)、規則正しい生活を送り、ストレスが掛かりすぎないように、心掛けています。

みなさまもご自愛くださいね。

あと、どうしても毒父、毒母に与えられた、数々の出来事、言動や暴力、心に受けた傷を思い返してしまい、つらく悲しい気持ち、憎くて恨んでいる気持ちで、心が沈んでしまいます。

でも、毒親の性格も、過去に起きた出来事も変えることはできない。

ツラい境遇の中、親を殺さず、自殺をせず、何とか生き延びてきた自分を、慰めて褒めてあげたいと思います。

私は娘にとって、精神疾患を持った母親だから、安心できる、信頼できる、存在であったかは、分からないけれど、今も愛情をもって育てています。

生まれてきてくれたその日から、私と娘は別の人間だ、ということと、人対人として、娘を傷つけたり、おとしめたりすることを、しないようにしよう、自分のことも他人のことも大切にできる子に育てよう、と思って子育てしてきました。

私が娘を産んだ2000年のときは、まだ毒親という言葉はなくて、でも、自分も子供を支配し虐待してしまうのではないか、という恐怖と不安はすごくあって、結婚してから5年間も妊娠を避けていました。

それに、激しい姉妹差別を受けて育ったので、何人も子供を産むことは、恐ろしくてできませんでした。

自分が親になってから、なぜ、私の毒父、毒母は、あんなに狂っていたのだろうか?子供の命を、人格を、何だと思っているのだろうか?そんな疑問でいっぱいになりました。

私の毒父、毒母にとって、子供は、自分のイライラの鬱憤が晴らせる道具、自分の思い通りに支配できる奴隷、愚痴のごみ箱、老後の介護要員、だったんでしょうね。

お前の為には、本当は自分の為に、だし、育ててやったのに、短大までだしてやったのに、面倒見てやったのには、今まで子育てにお金を掛けてやったのに、という恩着せがましさと、自分の心の寂しさを埋める道具として、子供の自立を阻んだのでしょう。

そんな心の中が真っ黒な毒親に対して、恐怖心や罪悪感を持つことはバカバカしいし、生きていることに罪悪感を感じたり、幸せに生きようとすることに申し訳なさを感じることは、微塵もないです。

育ててもらった恩返しをしろ、介護しないお前は親不孝者だ、と罵られても、それをする義理も無いです。

そんな娘に育て上げたのは誰ですか?お前だろうが!

妹に福祉に繋いでもらえているだけ、老人介護施設を探してもらえるだけ感謝しろ、プラスの遺産があるならすべて妹に相続させてやってくれ。

毒親の連鎖は私の代で断ち切れただろうか。

もうすぐ娘も巣立っていくから、そうしたら、夫と二人で、将来はおひとり様かもしれない、で、前を向いて生きていこうと思います。

それではまた更新します。

最後まで読んでいただきありがとうございました。