退院后の毎日を詳細に記すと、この『網膜剥離回顧録』も際限なく続いてしまうので省略しますが、この3ヶ月の欠勤中、有り余る時間を使って、右目の治療は勿論ですが、そこそこ自分自身なりに充電出来たような気がします。

退院して最初のうちは早く職場に戻りたいなという思いはありましたが、時間の制約がない毎日を送っているうちに、今のほうが気楽でいいやという、だらしのない気分になってきました。

お金がないので、つつましい日々を過ごさなければならなかったこともありますが、入院中の安静生活がクセになってしまったのか、一日どこにも出掛けずに、ずっと家にこもっているという日のほうが多かったような気がします。網膜剥離を発症してから、自分の意に反してすっかりインドア派になってしまいました。まあしかし、網膜剥離の再発を防ぐためにも、これはやむを得ないかなとも思います。

欠勤中は何回か帰省をしたり、気晴らしに仲間を誘って酒席を設けたり新幹線に乗って出掛けたりもしましたが、家で本を読んだり(欠勤中、合計9冊の本を読みました)DVDを見たり、夜はナイター中継を見たりして過ごしていました。しかし、退院直後は「あれもやろう、これもやろう」と思っていましたが、日が経つにつれて、朝起きると、「さて、今日は何をして過ごそうかな」と、そんなことばかりを考えていました。

かように、日々ダラダラと過ごしてはいましたが、肝心の目のほうは一向に視力が上がる気配がありません。そこで、新聞広告にヒントを得て、暫定的に今の視力に合った眼鏡は作れないかと考えました。早速、駅の近くの眼鏡屋に行きその旨を話してみると、3ヶ月以内だったら無償でレンズの交換が出来るということを聞き、早速眼鏡を作ることにしました。

一週間ほどして新しい眼鏡が出来ました。かけてみると、それまでとは全然違ってよく見えるようになりました。翌日には2ヶ月ぶりに車を運転してみました。久しぶりなのでとても緊張しました。車を運転するのにこんなに緊張するのはおそらく、免許を取って以来ではないかと思います。

よく見えるようになったのはあくまでも前の眼鏡と比較しての話であり、すべてがスッキリと見える訳ではありませんでした。視力がなかなか上がってこないので、果たして自分は本当に職場復帰出来るのか、日が経つにつれて心配になってきました。
退院翌日の22日は一日中家でのんびり過ごし、そのまた翌日の23日に挨拶と書類提出のために、およそ1ヶ月ぶりに会社に行きました。久しぶりに会社に行くので、何だか照れくさかったです。会社に着くとみんなが退院を祝ってくれて、とても嬉しかったです。

二時間ほど会社にいた後に、次は会社の近くの知り合いのところに向かい、入院中大変お世話になったことのお礼をしてきました。本当は退院翌日に出向きたかったのですが、当日はこの知り合いの家が経営するお店が定休日だったのでこの日にしました。二度手間にならないよう、会社への挨拶もこの日にした次第です。

会社に行った時に、翌日とそのまた翌日に健康診断があることを教えられました。この健康診断を受けておかないと、職場復帰してもバスに乗務させてもらえないという話を聞き、近所に住む同僚の車に乗せてもらい、二日続けて会社に出向きました。

健康診断ではほとんど異常はなかったものの、やはり右目の視力だけは問題ありでした。眼鏡をかけても0.1はありませんでした。網膜剥離の件を保健士さんに話しはしましたが、さすがにショックでした。

およそ一週間后の28日、午前中は北里大学病院で一回目の外来診察をした後、夜は仲間が快気祝いを催してくれました。この夜は二次会三次会と流れ、結局タクシーで家に帰ったのは午前4時を過ぎていましたが、毎日が休みなので、こんな遅い時間になってもまったく苦にはなりませんでした。仲間の暖かい心遣いに ただただ感謝し、退院后の楽しい一夜を過ごしました。
話は退院直前に戻りますが、退院后の注意点の中で、『眼鏡は視力が安定する術後3ヶ月を目安として医師に相談してください』とありました。と言うことは、当然の如く3ヶ月間は視力が安定しないということになります。これは、バス運転士を職業とする私には重大な問題です。

退院を前提として、この件についてS先生に尋ねました。S先生が「職業は何ですか?」と尋ねるので「バスの運転士です」と答えたら、「うーんそうですか、バスの運転士さんならやっぱり3ヶ月は休んだほうがいいですね。人を乗せて走る訳ですから」と言われました。このS先生の答えで、退院后3ヶ月間は会社を欠勤することに決定しました。入院すると決まった当初、勝手な予測で、2週間入院して、その后一週間自宅療養してから職場復帰だと考えていましたが、そこから大幅に欠勤期間が延びて、合計4ヶ月にもなってしまいました。

思いもよらない長期休暇が振りかかってきました。時間は無限に出来たものの、何せ欠勤中の身分なのでお金がありません。健康保険組合から出る傷病手当のみが唯一の収入となってしまいました。そうなると、自宅療養の3ヶ月間は、つつましい生活を送らざるを得なくなりました。

上記の話を前提として、退院后の3ヶ月間のことを書いていきます。バスを降りて雨の中を濡れながら歩き、29日ぶりに自宅に着きました。これだけ留守にしていたので、ポストは郵便物とチラシで溢れていました。部屋に入ってまずは窓を開けて換気をし、荷物の整理をしてから、入院中は御法度だったテレビ、読書、タバコにいそしみました。網膜剥離で入院さえしなければ日常何でもなかったことが、たった29日間のブランクとはいえ、とても新鮮に思えました。

退院はしたものの、目の中のガスがまだ残っていたので、ガスが抜けるまでは基本は安静で、寝る時は横向きでと言い渡されていました。荷物の整理が終わってからは言われたとおりにしていましたが、夕方からは、旧友のY氏がわが街に来てくれて、ささやかながらの退院祝いを開いてくれました。これもまた、実に29日ぶりのお酒です。酒が腹にしみわたる気はしたものの、こちらもブランクがあったためにあまりたくさん呑むことは出来ませんでした。しかし、そこそこに酔ってお開きになった後は、これまた久しぶりに横向きになってゆっくりと休むことが出来ました。