こんにちは。
トレイルランナーズ大阪の安藤大です。
結論から言えば、「生き残れず」。ベトナムジャングルマラソン(VMM)。気候やコースに負けた、というよりも減量に失敗したボクサー、自分の調整不足。これまで22か国、時差やレーススタート時刻も異なる国のレースに多く参加をしてきたが、今回が一番調整が難しかったかもしれない。
ベトナムと日本との時差はわずかマイナス2時間、過去にベトナムでは70キロのレースを14位で楽しく完走できていたこともあって甘く見ていたのかもしれない。開催月や山の標高が変われば気温も高くなるわけで、過酷さは別ものだった。
僕は一年のうちレースをA、B2つのカテゴリーに分けて、参加をしている。
A…目標レース。年に1つ。ちゃんと計画を立ててトレーニングして臨む、自分の得意に合ったレース。
B…ブログレポートのためのトレーニングレース。年に4~5つ。故障しないことが第一。
2018年は8レースにエントリーしているが、馬と競い合った時や階段を100往復してエベレストに挑んだ時のような興奮、今年は燃えたぎる目標レースを見つけることができなかった。すべてトレーニングレースだ。今回のベトナムのレースは一番楽しみにしていたレースだったので残念。特に記録や完走できなかったことよりも、景色を最後まで楽しめなかったことが残念だった。
目の前に目標がないときは、今はそのときまで待つときだ。
1時AM起床。食事して腸が活発な状態で就寝、枕やベッドが変わると眠れなくなるタイプではないが、レースの緊張と興奮もあって一睡もすることができなかった。睡眠学で言えば、寝転んでいて意識のある状態は何のリカバリーにもならない。時間のムダでしかない。
バスに乗車。1時間揺られてスタート地点へと向かう。暗闇の中、落石がごろごろ転がる山道を進む。多くの選手がそんな落石を目にして眠ることができなかったようだった。
レースがスタート。身体に力が入らず、まったく走ることができない。まさかの最後尾。前後にランナーは瞬く間にいなくなってしまい、一人真っ暗闇の中に取り残された。どんな選手でもスタートしてすぐのロードを歩くようなランナーはいない。走れないとなると、みんなものすごく速く見えるから不思議だ。
「(僕が最後尾か。。)」
今日は制限時間関門に引っかかるまで歩き続けることに決めた。たとえどれだけ調子が悪くとも、少しでも先へと進んでブログレポートを書かなければならない。
スタートしてすぐ標高差800メートルのいっき登り、ビーストクライム。ベトナムの山はなだらかに登っていく山は少なく、直登。汗と湿気でバケツを頭から被ったかのようにびしょ濡れになった。
ようやくジャングルの登りを抜けると、そこは美しい緑芝の草原。あたり一面は深い霧と雲海に包まれ、まるで雲の上を散歩しているかのような気分。
「ああ ……朝日がとても綺麗だ …… 疲れたろう。僕も疲れたんだ。なんだかとも眠いんだ……」ラストシーンのような言葉を漏らしてしまうが、まだスタートして8キロ、トレーニングしたことの10%も出せていないことは悔しい。走ることができていないのだから。こんな日もある。あらためて異なる国でのレースコンディション調整の難しさを感じていた。
ほとんどのランナーが昨夜2、3時間しか眠ることができていないはず。レースをスタートしたら14、15時間は山の中で動き続けることになるわけだ。最後尾の人は17、18時間になるかもしれない。そう考えるとみんな30時間近く起きていることになる。トレイルランニングレースはあらためて過酷だ。
田んぼに川、小さな少数民族が住む村の農道にジャングル。両手を使わないと登れないような急斜面や垂直の急下りもある。ベトナムのトレイルは変化に富んでいて飽きない。
ベトナムの原風景とも言えるたたずまい。コースは登山道ではなく、生活道。やっぱり僕は整備されたトレイルを走るよりも、手つかずの山道を走る方がずっと楽しい。
バランスを崩し、田んぼの肥溜めにドボンする人も。家畜の糞や尿が流れた川にトレイルのシューズごと足を突っ込むような場面もあった。
風車で農耕作、興味深い。ベトナム語がわかればレースを放って、農村の人に農業についてじっくり尋ねたいぐらい興味が惹かれた。
ターコイズブルーの川のうえを幾度となく竹でできた橋を渡り、藁ぶき屋根をくぐる。
今回のトレイルレースの主催者は、NGO法人格も所有しておりランナーの参加費の一部は、子どもたちの教育や職業訓練、学校建設に役立てられる。素晴らしい。
絵に書いたような美しい風景。ベトナムの人もほとんど知らない、地球の歩き方にも記載されていない秘境。思わず足を止めて、何度も見とれてしまうほどの美しさだ。
子犬のころはこんなに可愛らしいのに。この子犬がやがて野犬になり夜吠えるのか。
5時間近く山道を歩き続けた。給水所を出て、少し進んだところで、「このまま進むべきか」「ダメージはどうか」「後悔はないか」と何度も同じ道を行ったり来たりした。帰国後のコーチ指導やゴールデンウイークの連日のイベントのことを考えると、これ以上大きなダメージを抱える前に戻って、リタイアを告げた。
トレイルのレースはリタイアを決めてからが大変なのだ。みんなエントリーして、このことを理解しているランナーは少ないように思う。
制限時間アウトになるまで走り続けた場合は、同じくリタイアした人も多くいてある意味にぎやかで、迎えもすぐに来るかもしれないが、リタイアするまでの時間が早ければ長時間待たせることは覚悟しなければならない。場合によっては何10kmと自分の足で歩いて帰らなければならないこともあるだろう。
給水所で2時間待ち、ようやく迎えのバンが来た。
「(やっとゴールのある宿に帰れるんだ。)」
言葉が通じない運転手に、どこかわからない、人里離れた建設中の教会に連れて行かれた。
「ここで悔いあらためろ、ということなのか?」
運転手には英語は一切通じないため、運転手の携帯電話で大会ボランティアスタッフと話すと、
「1時間後に迎えに行くから、そこで待っていてくれ。」
なぜ僕一人だけが教会に連れて来られたのかわからない。もしスタッフが僕のことを忘れたままだったら、場所もわからない、人里離れた山奥の教会で一人ぼっち。その後の展開を想像するとぞっとしたが、スタッフが僕のことを覚えてくれていることを信じて待っているしかない。
1時間後。
これで終わりじゃない。
Never Stop Running.
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一度、ランニングフォームを見てほしい