こんにちは。
トレイルランナーズ大阪の安藤大です。
マレーシアで行われた「ありえないほど美しいもの※/The Most Beautiful Thing(TMBT)」大会の参加レポート。レース後半の核心部を書けずに記事を終えてしまったので真の完結編です。なかなか頭の中が整理できず、ようやく文章としてまとまりました。
帰国後にある女性の方から「安藤さんも神の領域を目指されているんですね」とメッセージをいただいた。この女性の方はよっぽどNHK番組「神の領域を走る〜パタゴニア極限のレース」を見て影響を受けたのだろう。僕は神の領域など目指していない。むしろ踏みこんではいけない領域と考えている。その理由は文中にて。
100km以上になると結果が安定しない。トレイルランを始めてからDNFしたレースは100kmだけだ。100kmも年々スピード化が進み「速く長く走り続ける」ことは僕には一番向いていないことだとわかっていた。100kmにもなればどれだけ上手く走っても足へのダメージは大きく、特に内臓疲労のリカバリー時間が長くなる。少なくとも3、4週間はかかり(人によっては数ヶ月も)、僕の場合はその間も安静にしているのではなくツアー開催しているのでもっとかかる計算だ。
今年は試験的に2ヶ月に1本のペースでレースに出場したが、レースの感覚が短すぎてトレーニングの時間が取れなかった。日ごろランナーさんから「練習メニューを組んでください」とお願いされることがあるが同じように頻繁にレースに出るような人は練習メニューは組むこともできない。
来年は今年以上にレースの本数が増え、よりトレーニングに費やす時間が減り、しばらくは完走目的のレースが続くだろう。
地元住民の応援が嬉しかった。
●時間は誰しもに等しく流れ、夜は誰しもに平等に訪れる。
CP6(53.3km)。レースの前に立てた行動計画表どおり、日が暮れる前に中間地点に到着することができた。一度も速く走ることなくのんびりと進んできたが、コースはハードで力を出し尽くしていた。ここでバンコクの友人に追いつき「ここまで来ればお互いゴールは目前だ。」と固い握手を交わした。(その後彼は初めての100kmをトップ10でゴールした。)
●時間は誰しもに等しく流れ、夜は誰しもに平等に訪れる。
やがて夜の闇が訪れた。今では100kmという距離に“恐れ”は抱かないが、夜のジャングルは想像しなかった怖さがあった。もし写真のこの場所で茂みから友だちが出てきて「うわあっ!」といたずらに驚かされたら心臓が飛び出て死ぬことは確実だろう。前後にまったく人の気配がしない。行けども行けども前の人が見えない。
「本当にこの道で合っているのか?」後半はほぼ1人旅で不安に思いつつ進む。目の前にあるマーキングテープだけが頼りだ。分岐点があり、この日3度目のミスコースをする。
左右の道、どちらにもテープがない。
左は下り坂、右は上り坂になっている。コース図では上り基調になっているので「右が正しい」と考えたが、しばらく悩んだ考えた末に左へと進んだ(直前のテープは左に張られていたからだ)二択だったがこれが誤りだった。下っていくと暗闇の中全長20mもの巨大な吊り橋が目の前に姿を現した。足元から激流の音がする。
「主催者は夜にこんな危ない場所を渡らせるのか..(僕がミスコースしていただけだった)」橋を恐る恐る渡り切ると...テープがない。今渡ってきた橋を振り返り「引き返すのか...」と大きなショックを受けた。上り坂を分岐点まで戻ると正解は右だった。上り坂を曲がった先にテープはあった。ここでかなりの時間のロスをした。夜中に同じ道を上ったり下ったりを繰り返すうちに心身ともにすっかり疲労してしまった。3度のミスコースで3キロも余分に上り下りしている。
レースの直前にアクロバットの練習で「2階の高さから地上にある跳び箱に着地をする」という練習をした際に着地に失敗した。「グキッ!!」という鈍い音が走り、指を折りたたんだ状態で着地をしねん挫をしてしまった。短い距離や平地を走る分には問題はなかったが距離は100km。上り坂や下り坂はまだ軽快に走れるような足の状態ではなかった。ランの練習では20年間ケガ一つないのにアクロバットの練習では瞬く間にケガをし情けない。僕がこれまで行ってきたスポーツとアクロバットには何の共通点もないことが原因だろう。なぜ100kmのレース直前にアクロバットの練習などしていたのかは聞かないで欲しい。
しなる竹でできた恐怖の吊り橋。もし1人で落ちて流されたら誰にも見つけてもらえないんじゃないだろうか。
CP8(73.5km)に到着。足の攣りもない。胃のトラブルもない。低体温症もない。もう少しゆっくりスタートすればよかったというような後悔もない。脳もコントロールできている。いつも通りトラブルなく計画通りだったが、心肺機能は問題ないが脚筋力が限界に達しふらふらになっていた。「あと10数kmぐらいは進めるかもしれないがラストの11kmで850mの登りは途中で生き絶えるかもしれない」知識と経験からDNFの判断を下した。今の状態で再びジャングルの夜間パートを進むことは危険だと考えたからだ。「このコースを完走するにあたって練習量が不足していた」素直に認めた。
あとで知ったことだがこの時点で20位圏内にまでなっていたらしい。ウルトラ専門ではない僕にしたは良すぎる順位だったが、レースの過酷さを物語っていた。しかし、それもゴールしなかったのだから何の意味もなさない。ランニングはゴールして始めて結果の出るスポーツだということは僕が一番よくわかっていた。
僕の目の前で女子2位の選手が両足の膝を包帯でぐるぐる巻きにされ、同じくDNFしていた。この女子選手とは抜きつ抜かれつを繰り返していたのだが膝が完全に壊れてしまったようだった。
スタッフにDNFを告げると「あなたはここへ早く到着しすぎたからコース上にはまだたくさんの選手がいる。待っててください」結局夜8時半から翌朝8時半まで12時間体育館のコンクリートの床の下で待つことになった。ボランティアスタッフには何の権限もなかったため、収容車がいつ来るともわからなかった。
一方で50kmの部が悪天候で大変なことになり主催者はてんやわんやになっていたことなどは知る由もなかった。命に切迫してないような人は放置というわけだ(苦笑)レースに14時間、収容車待ちに12時間。正直待つことの方が辛かったかも…「12時間待つ」とわかっていれば先に進んでいたか?待っている間中自問し続けたがやはり続行することは難しかっただろう。
力の限りを尽くして完走することと自分のリスク許容度を超えて完走すること、この2つは大きく異なる。山の中で身動きできなくなってからでは遅い。神の領域とは本来人が足を踏み入れてはいけない領域なのだと僕は思う。だからといっていい様に解釈をして「足が痛いから」「翌日の仕事に差し支えるから」とやめていてはいつまでたってもトレイルの100kmロングレースの完走などできない。より長い距離を走ればトラブルがあったり足の一つも痛くなったり、脳がやめたいと言ったりするものである。そこで必要となるのが知識と経験である。
●DNFには「Did Not Finish」だけでなくもう一つの意味がある
ベトナムのレース主催者が「DNFには「Did Not Finish」だけでなくもう一つの重要な意味がある。」と話していたのを思い出した。「それは「Did Nothing Fatal 」だ。命に係わるようなことはしなかった、つまり現状自分が抱えているリスクを正しく判断した、ということだ。」
この話からすれば日ごろ悪天候の中走ったことない人がロングのレースで土砂ぶりの雨の中走ることは出場自体が判断の誤りかもしれないし、出場しないことが正しい選択にもなりえる。
あるトレイルの大会でその大会は毎年悪天候に見舞われるそうで「ドライブウェイが水浸しでレインジャケットを着ていても死ぬような思いをしました。」と悪天候時の対策やレインジャケットの性能について尋ねられたことがあった。その前にその人の知識と経験からそもそも出場することが正しい選択であったのだろうか?どこかに「みんないるレースだから安心」「お金の支払いを済ませているから」という気持ちからの出場はなかっただろうか?
僕は息の長い選手でいたい。そのためにはケガや深刻なダメージを負わないことが大事だと思っている。深刻なダメージさえ負わなければ、再チャレンジも可能である。
これで終わるはずがない。コースが僕を強くする。次は必ずパワーアップして帰ってくる。
Never Stop Running.
【STEP1】無料メール講座で学ぶ
【STEP2】大阪城公園での練習会やトレイルランイベントに参加する
一度、ランニングフォームを見てほしい