・A2本栖湖スポーツセンター(標高905m)ーW1麓(標高818m)区間距離12.4km
だらだらした長いロードと気持ちのよい林道が続く。あっという間に、本栖湖に到着。次はコース中一つ目の大きな上り、竜ヶ岳(標高1485m)へ。僕はどんなレースでも一切試走をしないので、当然どんな上り下りや景色が待っているのかは知らない。だから、これから待ちゆく道が楽しみで、楽しみで仕方がない。辛いという気持ちよりも、早く先を見たいという気持ちが勝る。

男性「安藤さんですよね?」
私「ツアーにご参加された方ですか?」
男性「いえ、お会いするのは初めてですが、いつもブログを拝見しています。」

本栖湖のエイドを出たところで、ブログ読者さんから声をかけられる。
こうした出会いも楽しい。

竜ヶ岳の登りは、ダイヤモンドトレール大会コースを彷彿とさせる上りだった。まだまだ元気なので、足どり軽く登っていく。ふと後ろを振り返ると、先ほどのブログ読者さんだ。驚いた!どこで学んだのか腕押しや"究極の歩き方"難場歩きまで使って、さくさくとついてくる。只者ではない。「ナイスペース!」と声をかけて、僕も先に進む。

・竜ヶ岳山頂付近(標高1485m)
山頂付近は気温一桁。猛暑は苦手だが、風や雨、雪など極寒は大歓迎。それにあらゆる天候や気温に耐えうる装備やリュックには万が一を備えて、軽量ダウンもある。結局、スタートからゴールまで、走ったり歩いたりしていて震えを感じることはなかった。これはちゃんと30分おきにエネルギー補給ができていたこともよかったのだと思う。

山頂付近。多くのランナーがここで初めての夜を迎える。山頂からの下りは粘土質で滑りやすく、トレイルシューズのグリップも関係ない。下りでブレーキをかけるということは、大腿四頭筋に負担がくる。また前方にランナーがいるため、勢いよく下っていくことができない。後方からトレッキングポールを持ったランナーがポールをうまく使って、流れるように下りていく。滑りやすい急斜面で、ポールの力を目の当たりにした。

うっすらと闇夜に浮かびあがる富士山。
見とれて立ち止まり、写真を撮る。レース中、
富士山を見て立ち止まっている時間も長かったように思う。

・W1麓(標高818m)―A3西富士中学校(標高520m)区間距離18.9km

W1エイドで一緒になった、杉山さん。杉山さんはハセツネCUPや極寒の八ヶ岳スーパートレイルを完走。ご本業がドクターでもあるので大きな心配はしていなかったが、この時すでに足を負傷。不屈の魂で完走されたが、ゴール後に足の靭帯が切れていたことが発覚。

"天使という響きの地獄"と呼ぶ人もいる、過酷な山岳区間の天子山地。ボランティアさんから「こちらです。」と指さされた先には、黒い壁がそびえたっていた。1時間半近く、時に両手を使わなければならないような延々とした上りが続く。登り終えたら、半分どころかまだ3分の1も終えていないという。愕然とする。昨年は100kmを過ぎてからこの区間で、しかもより長く、脱出には10時間以上を要したという。エイドでドクターチェックがあったり、リタイアするランナーが続出したのもうなづける。

・W2粟倉64.4km(標高604m)―A4富士山こどもの国(標高923m)区間距離14.9km
だらだらとしたアップダウンの続く林道。後続ランナーの気配はゼロ。みんな、おそらく肉体の限界はとっくに超えているのだろう。僕もここまでで約75km近く走り、疲労困憊にきていた。「僕でも疲れることがあるんだなぁ。」とつぶやきつつ、「昨日の昼の3時から翌朝の5時までずっと走り続けているんだから、疲れるのも当たり前。」と頭はまだ冷静であった。

鳥の声。朝だ。「鳥はいつも夜になると自分は死ぬものだと思っている。だから明くる朝、まだ生きている自分が嬉しくて鳴く。」何かの本で読んだ言葉をふと思い出し、妙に納得した。現在朝5時という実感だけはあり、ここまで何km走ったのか、何時間走り続けているのかといったことはよくわからない。ボランティアさんへの「こんにちは。」ではじまった挨拶も、「こんばんは。」になり、「おはようございます。」になった。こんな経験なかなかできない、と笑いがこみあげてくる。そして、このあとまた「こんにちは。」「こんばんは。」に。

(続く)