「JR西日本・関西どこでもきっぷ」撮影記・和歌山編 新宮城跡 | ウォーリーのブログ

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11月28日(日)。古座川橋梁で、「WEST銀河」を無事に撮影すると、古座駅に戻りました。しかし、14時台は、上下共に列車は無く、15時20分、新宮行の普通列車に乗車。16時12分に新宮駅に着きました。駅から歩いて行ける、観光名所、新宮城跡へ向いました。

新たに整備された西側登城路と冠木門

新宮城は紀州藩主浅野長晟の重臣・浅野忠吉によって築かれた城です。1600年(慶長5年)に築城し、いったんは1615年(元和元年)の一国一城令で廃城となりますが、1618年(元和4年)に再び築城しています。その後、徳川頼宣が紀州藩主として入国して以降は、付家老・水野重仲が城主となり、水野氏の居城として明治維新を迎えました。現在は、本丸跡付近が丹鶴城公園として整備され、「和歌山県朝日夕陽百選」にも選定されています。2003年(平成15年)8月には国の史跡に指定されました。また新宮市では天守の再建も視野に入れた整備計画が進行しているそうです。

新宮城 本丸・天守台

JR新宮駅から徒歩10分程で、新宮城跡(丹鶴城公園)入口に着きました。公園の駐車場から、石段を登ると本丸に出ます。本丸は、東西180間(約324メートル)、南北115間(約207メートル)。城郭の中心として北東の最高所(標高60メートル)に位置し、北面には正保城絵図に記されていない枡形虎口が残る。本丸の南端には天守台が設けられ、3層5階と推定される天守閣があったと言われる。

本丸から水ノ手と熊野川の展望

熊野川に面し、港跡あり、洪水に備え6mもの高さの石垣が築かれている。また20棟の建物跡が発見されており、備長炭を専売していた領主水野氏の炭納屋跡と想定されています。

西側登城路から城を下りました。天守の再建計画が有る様ですので、再建された時は、是非、再訪問したいと思います。

時刻は17時過ぎ、新宮駅17時46分発、特急「くろしお」36号に乗車する為、急いで新宮駅へ戻ります。万が一、乗り遅れると、大阪へ帰る事が出来ませんので・・・。

駅に戻ると、帰りの特急列車の車内で、夕食の駅弁でも買おうと、駅員さんに、買える店を聞きましたが、無いとの事・・・。コンビニで弁当を買った方が無難ですと言われました。

「WEST銀河」紀南コースの撮影で、7月から3回訪問して帰りは、串本駅、白浜駅、新宮駅から、最終の「くろしお」で、帰りましたが、何れも、駅での売店が無く、又、駅周辺に、手頃な店が無く、夕食に難儀しました。串本駅では、何とか、王将が有って助かりましたが・・・。JRも、責めて、18時台の、特急乗車の乗客相手に、売店で弁当でも販売して欲しいと思いますが、やはり、余り売れないのでしょうね・・・。仕方が無く、コンビニで、弁当と食後のスイートを購入して、天王寺駅まで4時間乗車して家に帰りました。