速度に興奮していた時代は終わった
― なぜ人類の興奮は「物理空間」から「情報空間」へ移ったのか ―
1990年代、若者は「速さ」に熱狂していた
1990年代、日本の若者文化の中心には「自動車」がありました。
スピードが出ること自体に価値があり、
速い車に乗ることは、力・自由・優越性の象徴でした。
国産スポーツカー、スーパーカー、エンジン音、加速G。
それらは単なる移動手段ではなく、感情を揺さぶる装置でした。
しかし当時から、私はどこかでこう感じていました。
この価値は、いずれ別の場所へ移るのではないか。
興奮の正体は「速度」ではなく「脳内反応」
重要な点があります。
私たちが興奮しているとき、実際に起きているのは何でしょうか。
答えは単純です。
すべては脳内で起きている。
アドレナリン、ドーパミン、集中、没入。
それらは「速い車」そのものではなく、
速さによって引き起こされた知覚刺激に対する脳の反応です。
つまり、
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自動車は「興奮の原因」ではない
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興奮は常に、脳が生み出している
という事実が見えてきます。
この視点に立つと、ひとつの結論が導かれます。
より強く、より効率的に脳を刺激できる媒体が現れれば、
価値はそちらへ移行する。
2000〜2010年代:まだ移行しきれなかった理由
パソコンの性能は、2000年代以降も右肩上がりで向上しました。
CPU、GPU、処理速度、グラフィック性能。
しかしこの時代、価値の中心はまだ自動車にありました。
理由は明確です。
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臨場感が足りなかった
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没入が断続的だった
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身体感覚と直結していなかった
当時のPCは「作業機械」であり、
感情を揺さぶるには力不足だったのです。
2020年代、決定的な転換が起きた
2020年代に入り、状況は一変します。
処理能力の飛躍的向上、低遅延通信、没入型映像、
そしてAIによるリアルタイム生成。
これにより、
情報空間が、物理空間に匹敵する臨場感を獲得しました。
ここで初めて、
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危険を伴わず
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コストも比較的低く
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何度でもやり直せる
高密度な興奮体験が可能になったのです。
なぜ「スピード」は危険なだけのものになるのか
今後10年で、物理的スピードはこう再定義されていきます。
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危険性が高い
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社会的リスクがある
-
効率が悪い
一方、情報空間では、
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死なない
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失敗してもリセットできる
-
より強い刺激を得られる
この差は、すでに埋めようがありません。
結果として、
「速く走ること」=「無意味な危険」
という認知が、静かに定着していきます。
速度の意味は、すでに変わっている
これからの時代における「速さ」は、
km/h でも馬力でもありません。
| かつての速度 | これからの速度 |
|---|---|
| 車の最高速 | 情報処理速度 |
| 加速性能 | 意思決定の速さ |
| コーナリング | 認知の切り替え |
| エンジン性能 | 演算・生成能力 |
速度とは、脳の拡張能力そのものになりました。
2030年代、人間の主戦場はどこにあるか
2030年代には、
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自動車は完全に実用・自動化領域へ
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人間の挑戦・競争・興奮は情報空間へ
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肉体よりも「認知・判断・創造」が価値を持つ
そういう時代になります。
評価されるのは、
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速く走れる人ではなく
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速く理解し、速く選び、速く世界を書き換えられる人
です。
これは懐古でも、テクノロジー礼賛でもありません。
価値の重心が、どこへ移ったのか
それを冷静に観察した結果です。
物理速度の時代は、すでに終わりつつあります。
そして今、私たちは
認知速度の時代
の入口に立っています。
気づいている人は、もう走り始めています。
気づいていない人だけが、過去の速度にしがみついている。
—— ただ、それだけの違いです。
