まだひとケタの年齢の我が子2人。
幼い子ども達に厳しすぎると
職場のスタッフに呆れられている
10年再発なく元気でいられる確率が、極めて厳しい今
10年は頑張りたいが、頑張れなかった時を
常に頭の片隅、いや頭の中心において
子供に接している。
私に焦りがあるのは否めない。
職場のスタッフは、私がそこまで厳しい状態だとは知らない
治療のために休むことがほとんどなかったので
あ、早期でどうってことないんだ。
って思ってくれている。
放射線治療で、皮膚がズルムケになっても。
放射線治療で、肺炎になって今も治りきらなくても。
抗がん剤で、白血球がなくなっちゃって注射しても
一度も休まなかったし、その気合だけが私を支えている。
職場の勤務表を作る私は、
術後15年で乳がん再発したしスタッフの勤務。
(↑このスタッフについては、こちら)
通院や治療の合間に、なるべく出てもらえるよう
勤務表作成は、かなり気を使っている。
お局様に、さんざん嫌味を言われつつ、
少しでも、社会と関わりを持つことで
治療に向かって欲しいと思って、心を尽くす。
もちろん、彼女の辛さは、彼女自身が抱えている。
彼女も、私のステージや状態なんて知らない。
それでいいのである。
子どもに、この春休みに伝えようと思っている。
母ちゃんは、乳がんであること。
北斗晶さんや小林麻央ちゃんと同じ病気だってこと。
そして、母ちゃんは生きるために胸をとったこと。
この先、何があっても
母ちゃんは、二人を愛し続けること。
でも、小林麻央ちゃんみたいに
優しい母ちゃんにはならないこと・・・
二人には、海老蔵さんみたいなお父さんはいない。
小林麻耶ちゃんみたいな、一緒にいてくれる
素敵なおばちゃんもいない。
お手伝いさんもいない。
70過ぎた私の両親と、私の兄貴が
会おうと思えば会える場所にいるだけ。
つまり、何があっても。
二人が力を合わせて 自分の足で立って欲しい。
生まれてきたことを、喜びに変えられる力を持って欲しい。
超スパルタ教育で育った私は、
親から殴られる蹴られるは当たり前だった。
そのせいか、子どもに優しく接することが
本当に苦手である。
褒められた記憶がないので、
保育園の先生が子供の毎日を褒めている姿を見て
驚き、小っ恥ずかく思った。
でも、子どもと暮らす中で、
正面からぶつかって
正面から怒って、正面から抱きしめている。
子どもと1対1で向き合う時間がほとんどないので
子どもは、きっと不満だらけだと思う。
でも、なぜか。二人共
お母さん大好きと言ってくれる。
ホントは、もっと甘えたいだろな。
ホントは、もっと子どもなんだろうな。
母ちゃん、毎日反省してる
でも、やっぱり口うるさい、ダメかあちゃんだ
子どもが成人するとき、私が生きていたら。
たくさん謝ろう。
遅すぎるかな・・・(笑)