Not a point, the point for advancing me ahead.
余りにも早く、彼は逝った。最後に交わした言葉が何であったか?それすらを蘇生させることが困難な程、俺にとっては突然過ぎた事だった。得てして人様の死、特に若年のそれとはそう言った事なのかも知れない… 12月4日は、彼が生きていれば40回目の誕生日だ。俺は何故かこの日だけは彼の実家に連絡しようと随分前から決めていた。
今では彼の死というものは俺の中で消化され、極端に美化されることもなく、ただただ人とはいつか死ぬものだということを若くして身を持って教示してくれた唯一の経験だ。出棺される前に最後の顔合わせをした時、彼の顔を改めて確認した時、俺自身の動きが完全に止まってしまったことを今でも明確と覚えている。あれはパニクくってるんじゃない。正に顔面蒼白な死人を前にした顔面蒼白な生きる人だった。あの時ほど頭の中が真っ白という表現が妥当と言える瞬間はその後もない。事実、自分レベルではあるが窮地に追い込まれたように思われるケースが幾度かあったが、「別に死ぬわけじゃないし…」 とその都度乗り越えて来た気がする。そう、死ぬわけじゃないんだよな。あれは究極なんだ。その当時の俺では聊か事の重大さが理解出来ていなかったように思う。後生、その経験は俺にとってどんな苦難も大したことに思えない程、希少事への対応を軽視処理出来る礎となったことを今更のように悟らされた。
電話をかけると何とも懐かしい声。彼のおふくろさんだ。話を聞いてると、親友であったが現実的には縁戚外部者である俺との想いとは裏腹に親のそれは全く違うものだと痛感した。彼はご両親がまだまだ元気な内に他界した。そのご両親は今では列記とした高齢者だ。年を追うごとに先に逝ってしまった息子に対して悲しむ気持ちより、孫の顔を見せてもらえなかったり、親として1人っ子の彼に後を見て貰いたいという期待を裏切られたという想いが強くなって来たのかと感じた。俺の思い過ごしならよいが、どうやらそうでもない… 親が元気だからこそ、子は只管甘えるものだ。恐らく俺もそうなのだろう。親にとっては、子供との物理的な距離は関係なく、ただただ人様に迷惑をかけることなく自活してくれればいい…そんな風に考えるもんだと思った。
もう暫くすると、俺も再上京する。当然、親の事は気掛かりだ。しかし、室生犀星の心境で先を期待しようと思う。東京で頑張っている多くの友人達。彼らにも成功を望み、そして成功に臨む。
J-Pants@STONE
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