"世の中の役に立ちたい" という思いよりも "自分の人生に没頭して生きる" ほうが価値がある
Perfumeさんの主題歌がキッカケで、注目し始めた若き実力派女優の清原果耶氏。 今ではその透明感と凛とした佇まいの虜になっている。
そういったこともあって、最近では清原氏出演の映画やTVを漁って観まくっていたのだが・・・・・・ 今度は彼女の代表作の連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』の作品としてのクオリティの高さとその世界観に完全に嵌ってしまった。
これ・・・・・・ Perfumeさんにのめり込んでいく経緯と似ているなぁ。まず中田ヤスタカ氏の音楽に触れ、PerfumeさんのMVを観まくり、関和亮氏やMIKIKO氏、真鍋大度氏のその他の作品にも触れていく・・・・・・ あの時の熱病がぶり返したかのようだ(笑顔)。
さて、前半戦の " 登米・気仙沼編 " を観終わり、中盤戦の " 東京編 " に入っているのだが、とりあえず、 " 登米・気仙沼編 " について感じたことを書きたいと思う。
○『おかえりモネ』の物語の設定
1995年(平成7年)9月17日。気仙沼の離島の亀島(架空の島)に台風が迫る中、一人の妊婦が産気づいた。亀島で出産をする予定だったが島内での処置が困難となり、本土で対応しなければ死産となってしまう可能性があった。当時は亀島と本土との交通手段は船しか無かった。
そこで妊婦の夫が友人の漁師に船で搬送してくれるように頼む。しかし海は台風の影響で大シケで、とても船を出せるような状態ではなかった。そんな状況であっても友人の漁師は無理を承知で船を出し、妊婦を本土まで搬送することを試みる。何とか船で本土まで搬送して無事に生まれたのが・・・・・ 清原果耶氏演じる主人公の永浦百音(愛称・モネ)だ。このように百音は家族や島の人々の大きな愛に包まれながら育ち、18歳まで亀島で過ごす。
百音は小さい頃から音楽が好きで、中学時代には吹奏楽部の部長を務めるといった、明るく活発でバイタリティーあふれる女の子だった。
東日本大震災の当日は高校受験の合格発表を確認するために、父親と本土の仙台に出向いていたことから故郷から離れていた状態で被災した。したがってようやく島に戻ることが出来たのは、震災から数日たってのことだった。この出来事によって、「家族や仲間が・・・・ 故郷が・・・・ 一番大変だった時に自分は何もできなかった」という自責の念を抱え、仲間や家族、そしてたった一人の妹に対してさえ、後ろめたさを感じていたのだった。
この日以降、百音からは元来の明るさは消え、楽器の演奏も完全にやめてしまって無気力状態で高校生活を過ごす。その影響からか、大学受験もすべて失敗してしまう。
「故郷が一番大変だった時に自分は何もできなかった」という思いに耐えられなくなった百音は、高校卒業と同時に亀島から離れることを告げるが家族にはその理由は語らず、また家族も百音が島から離れたいという理由が思い当らなかった。
百音の祖父の知り合いを頼って山間の街である登米市米麻町(架空の町)の森林組合で働き出す。 " 百音の2014年・18歳の春 " からこのドラマはスタートする。
○ " 登米編 " を彩る舞台装置たち
この作品の特徴は、ストーリー自体がかなりゆっくりと、そしてじっくりと丁寧に丹念に進んでいく。そして扱う題材が、前半戦は主に林業や気象といったやはり地味で、且つ登場人物の心の傷や闇、葛藤を描くということもあって重く暗い内容である。したがって、決して視聴者の目を引くようなキャッチ―なものではない。そこで物語を取り囲む舞台装置は、非常に気を配り、こだわりを持って構築されているのが感じ取れる。
百音は祖父の知り合いの新田サヤカ (演・夏木マリ氏) に家に下宿しながら米麻町森林組合で働き出す。サヤカは70歳目前の独身。4回の結婚経験があるが子供はいない。
そのサヤカは先祖代々からの広大な山林を受け継いだ資産家であり、この町の名士ということもあってか、非常に立派な邸宅を構えている。この邸宅が非常に洗練されたデザインでオシャレであることが目に入ってくる。またサヤカのメガネや衣装、身に付けているものどれ一つとっても粋でオシャレだ。我々が想像するような " 地方の林業に携わる70歳目前の老年女性 " のイメージとはかけ離れているぐらい、モダンでオシャレな志向の人物であることが良くわかる。
また米麻町森林組合の事務所が入ってる複合施設・『登米夢想』は、サヤカが私財をなげうって建てた。この施設には診療所やカフェまで入っており、非常にオシャレなものであることが印象的だ。こちらの方も我々が想像するような " 地方の林業関連の事務所 " のイメージとはかけ離れているぐらい、清潔でオシャレな雰囲気なのだ。
*米麻町森林組合の事務所が入る複合施設・『登米夢想』
さらに特筆すべきは、サヤカが所有するクルマだ。地方の林業関係者が使うクルマを想像すると、やはり " 白の軽トラ " が頭に浮かんでしまうのだが、サヤカが乗るのはSUVだ。降雪地域なのでSUVに乗っても決しておかしくはないのだが、宮城県という地域性から考えると、通常であれば国産を選ぶことが多いと思う。
しかしサヤカが乗るのは国産ではなく・・・・・・ フォルクスワーゲンの初代・『トゥアレグ』なのだ(NHKなので、フォルクスワーゲンのエンブレムは隠されている)。
ちなみにこのクルマはポルシェの『カイエン』の姉妹車となる。ポルシェを選ばないところが・・・・・ なかなかどうして。
SUVを選ぶとしても・国産でもなく、ポルシェでもなく・・・・・ フォルクスワーゲン・『トゥアレグ』を選ぶというところが " 新田サヤカ " という " モダンでオシャレで、懐の深い豪快な人物 "であるといったキャラクター設定を体現したものであろう。演出部の細かい設定や工夫が垣間見られる部分だと思う。
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『木材ではヒノキってとても有名でしょう。みんなに重宝される。だからこの木もヒノキに憧れて、" 明日はヒノキになろう " と思いながら大きくなったんだよ。だから・・・・ " あすなろ " 。 』
『でも・・・・ 登米の山にはヒノキは自生しない。ヒノキの北限は福島だ。この山で生まれた限り・・・・・ どう頑張ってもヒノキにはなれないってこと。でも・・・・ ヒバはね、雨、風、雪に耐えながら、長い時間をかけてゆっくりと成長するから、身体がビシッとしていて、緻密で狂いが少なくって、虫にも湿気にも強い。 " 私、ヒノキにはなれなかった " ってモジモジしてる木だけどね・・・・・ この子は物凄く良い木なのよ。』
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このシーンの中に、この作品は " 人が生きていく " ということはどういうことなのかをゆっくりと時間をかけて丁寧に丹念に紡いでいく・・・・・・ ということを冒頭で宣言しているようにも思えてくる。
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『この山で生まれた限り、どう頑張ってもヒノキにはなれない』
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『自分が本当に好きなものは何かも分んない。でも私・・・・ 山も木も好きです。森林組合の仕事ももっと出来るようになりたいと思っています。』
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百音の切なる思いの吐露に胸が締め付けられる。この作品ではブルーの照明が多用されており、特に心の傷や闇、葛藤などの登場人物の心情を表現したい際に用いられているようだ。このシーンでは百音の背後からブルーのライティングが施されているが、これは彼女の苦しい心中や葛藤をこれで表現しているのだろう。この演出も秀逸すぎる。
それで、この百音の心情の吐露に対してサヤカがこのように答える。
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『私が60数年生きてきて得た結論から言ってしまうとね・・・・・・ 別にモネが死ぬまで・・・・ いや、死んだ後もなんの役に立たなくってもいいのよ。』
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誰かの役に立ちたいと思っている百音に対して、何の役に立たなくても良いと答えるサヤカ。サヤカの懐の大きい優しさに落ちる涙が止まらない。要する彼女は百音にこのように伝えたいのだろう。
[ 本当に大切なことは "精一杯自分の人生を生き切る " ということであり、生きるということに対して意義を求めたり、意味づけをする必要は全くない ]
[ 自分が夢中になれるものを見つけたら、それが世の中の役に立つか、立たないかなんて考えなくてもいい。たとえ、世の中の役に立たないものだったとしても・・・・・・ 自分が夢中になれるものであれば、それに没頭して生きて行けばいい。]
[ 誰かのため、世の中のためになんて考えなくていい。まず自分が "自身の人生に没頭して生きる " ことが大事なことなのだ ]
[ "自身の人生に没頭して一生懸命に生きる " ということが、結果的にあるいは副次的に誰かの役に立ったり、誰かを勇気を与えたりすることもある。しかしそれは10年後かもしれないし、50年後かもしれない。あるいはその人の没後の数百年後かもしれない ]
ボランティア精神を持った方々や公共の福祉の心がある方々は、「人の役に立ちたい・世の中の役に立ちたい」と考え、さまざまな活動に従事している。しかしながらそのモチベーションの起点は、
[人々の喜ぶ顔が見たくて・・・・・ ]
といった、結果的には自分の満足感を満たすためのものだったりするのにも関わらず、そのことを自覚していない人が意外と多いのではないか感じられる。要するに「人の役に立ちたい」というモチベーションは、自分の満足感を満たすためだったりするのだ。もっと言えば、下手をすると、ただ単純にマウントをとりたいがためにボランティア活動を行っている人もいるのではなかろうか。
このように「人の役に立ちたい・世の中の役に立ちたい」という気持ちがどこから来るのかということを、この作品では何回も何回も百音と視聴者の我々に問いかけてくる。そして百音も人間的な成長と共に "その本質 " に気づいていくのだ。
この作品は "その本質 " をゆっくりと時間をかけて丁寧に丹念に紡いでいくからこそ、じんわりとではあるが、より深く圧倒的な感動に観ているものを包んでいく。
そして、百音の「人の役に立ちたい」という思いを遠くから聞いていた朝岡は・・・・・ 今後、百音にさまざまな啓示を与えてくれる伏線にもなっている。
朝岡の登米滞在の最終日に、彼は北上川名物の移流霧を見たいとということで、それにサヤカと百音も同行する。移流霧を眺めていた百音は、大好きだった故郷の亀島の冬の海に出る "けあらし" という霧のことを思い出すと同時に " あの日の光景 " とその衝撃がフラッシュバックのように蘇ってきて・・・・・・ 思わず・・・・・
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『でも " あの日 " ・・・・・・ 私・・・・ 何もできなかった・・・・・・。』
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と心の中にあった深い傷を吐露し、一筋の涙を流す。
このシーンで流れる劇伴の『心の耳』のバイオリンの響きが心に突き刺さり・・・・・・ そして心をえぐってくる。彼女の心の中が響きとなって伝わってくるようで、胸が締め付けられてたまらない。
*『心の耳』(作曲・高木正勝)
百音の心情の吐露に対して朝岡は『霧はいつか晴れます』と強くハッキリと答える。3年という月日を経て・・・・・・ ようやく彼女の人生は動き始めようとしている。そんな胎動感じる瞬間だった。