神吉拓郎という直木賞作家の作品。
NHKでTV草創期に放送作家として「日曜娯楽版」などの台本を手掛け傍らで雑誌のコラム、短編を執筆。放送界引退後は文筆家として都会生活の哀愁を見事に描いた作品「私生活」によって、1984年第90回直木賞を受賞した。
『たべもの芳名録』、『洋食セーヌ軒』など食にまつわる作品も多い。なかでも、この『ニノ橋柳亭』は視点が面白い。
ある雑誌に食通と呼ばれる方が二ノ橋にある「柳亭」のことを書いた。〜角行灯が目印のその店は、小体な店ながらも、料理が美味しく、酒も美味い、しかも落ち着いて飲める酒飲みの隠れ家的な店だ〜 と。
その描写に読者から問い合わせが殺到したが、実は食通氏の理想を書いたもので、実在しない店だとわかる。
ところが、抜け目のない人が、同じ場所・同じ店名・同じ料理・同じ店の佇まいの実在店を作ってしまう。
編集者、食通氏が、その噂を聞き、実際に行ってみると、確かに寄稿文のままの店が実在している。
そこで、皆、それぞれの思いを感じつつ・・というストーリー。
本当に良い店は隠しておきたいと思う食通氏のジレンマ。それが理解できるので、あえて掲載した編集長。隠すことや読者を騙すことに軽い憤りを覚える若き編集者の気持ちが織り交ざる。
そして現在、食べログを始めとしてネット上で店の情報や評価が簡単に見られる時代。
しかも食通とまでは行かなさそうな自称グルメな素人が簡単に口コミを書き、評価さえしてしまえる時代。
本当に美味しい店、サービスが行き届いている店が正当に評価されているか疑問である。
もし本当の食通だったら、自分が本当に贔屓にしている店は人に教えたくないという心理が働くのではないだろうか。と考えると、食べログに載っている店は、「ま、公表しちゃっても良いか」と思う店や、さほど評価高くないけど、この店なら公表しても良いと思う店だということもある。
そして、自称グルメな素人さんは、隠したいなんていう心理は働かないし、まともな評価軸を持っていないから評価もマチマチなので、「えっ、こんな店が4.0?」という現象が起きる。
インターネットが一般に普及し始めた頃、様々な情報を誰でも読めるようになったが、その情報が本当に正しいのか評価する読み手側の意識が重要だと言っていた人がいた。
情報とは「情けに報いる」と書く。そもそもDataやInformationは単なる数字や単語の集まり。そのDataにアクセス(Access)し、評価(Assess)し、受け入れ(Adapt)て、行動(Action)を起こすの一連のセットで成り立っている。
したがって、受け取る人の教育レベルや経験や感性などによって、そのDataやInformationは有益なものにもなれば、無意味にもなるということである。まさしく、情けに報いるのが本当の意味での情報だと思う。