あれから13年。
愛媛県大洲市在住、肱川をホームグラウンドとする僕のシーバス釣り師匠は転勤先の岩手県盛岡市で、客先で被災。
この師匠😅
大洲の実家住み・松山市勤務→千葉県茂原市在住・市原市勤務→盛岡市在住・同市に転勤した時に一度愛媛に帰って来てて
「俺来年度から南青山に住むことになったけん!(ドヤァ)」
えっ、大都会のど真ん中で超オシャレなセレブ住まいですか?😱 似合わねースね
という会話ののちに実は岩手県盛岡市南青山町に住む、海が遠くて寂しくて と聞かされ、ズッコケ🤣ながらも大爆笑して、海は遠いけど渓流魚は近くにいるじゃねーですかと、いってらっしゃいをしたのでしたが
営業回り先で、倒れたスチールラック?本棚?の下敷きになり腰と足を骨折、現地で半年近く入院。
大洲の当時70代のご両親は居ても立っても居られずクルマで愛媛→岩手に駆けつけたけど福島以北へは行かせてもらえず、でもなんとか交渉出来たようで自衛隊に付き添われて現地入りし、入院先の病院で師匠家族と再会できたということもありました。
(退院後ご両親の強い意向で地元松山市に戻してもらった)
しかし「2万人の死者・行方不明者を思うと生きてるだけで丸儲け」と言ってのけた師匠には頭が下がりました。
現地以外ではあの地震も風化されつつある中、昨今また地震が多く発生しています。
阪神淡路大震災や東日本大震災、そして今年元日の能登半島地震を教訓に、予想される南海トラフ地震に備えていざという時に何ができるのか、どう動くべきなのかを考える機会にしなければと改めて思います。
合掌