一つ前の記事に義母のことを書いた流れで、この切ない出来事についても記しておこうと思う。
義母が30歳の頃、次男(夫の弟)が口唇口蓋裂
で生まれたことをきっかけに、自身のルーツを調べるため出生証明書を申請しました。
そこに記されていた両親の名は、全く見覚えのない人物で、実の両親だと思っていた人々は実は養父母でした。
調べてみると、8人兄弟の中で、義母と末っ子の弟だけが養子として迎えられたそうです。
周りの兄弟がそれを知っていたのかは分かりませんが、義母が結婚するまでその事実を知らずに過ごせたのは、それだけ家族として大切に、分け隔てなく育てられた証であり、幸せなことだったのではと私は思っている。
義母は実の両親への接触を試みましたが、同じ町に住むアイルランド系移民の彼らは、面会も会話も頑なに拒否しました。
夫の記憶を辿ると、当時、義母がひどく落ち込んでいた姿をおぼろげながら覚えているといいます。
「なぜ自分を手放したのか」それだけを聞きたかったという義母は、その時点ですでに養父母も他界しているので、真相を知る術もないまま、62歳の若さでこの世を去りました。
彼女の兄弟もみな亡くなった今、この話は真実を知る者が誰もいない、一族の「伝説」となっています。

養父母が遺した一冊の絵本の1ページには、幼い義母をいとおしそうに膝に抱き、ミシガン湖を照らす美しい月明かりを一緒に眺める養母の姿が描かれています。
実の両親が語らなかった理由の代わりに、その絵本は雄弁に物語っていると私なりに解釈しました。
血の繋がりを超えて、義母がどれほど望まれ、慈しまれ、愛されていたかということ。
数年前、夫がDNA検査をしたところ、会ったことのない血縁者が数名見つかりました。
そのうちの一人の女性から連絡があったのですが、なんと彼女は義母の実父母(生みの親)の親戚にあたる方で、彼らのことを直接知っているというのです。
分かったことはわずかでしたが、夫はもう、興奮を隠せない様子でした。
日本とアメリカ、距離は離れていても、帰省のたびに変わらぬ温かさで迎えてくれた義母です。
かつて夫婦喧嘩をして電話で泣きついてしまったとき、何よりも先に私の味方になってくれたことは、今でも忘れられません。
私にとって、本当にかげがえのない、大好きな義母のお話でした。