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映像作家中川究矢と俳優川連廣明プロデュースの短編映画連作プロジェクト“ドグマ96”公式ブログ。

中川なのです。


ポチが更新しないので。

ミニシアター系映画とかアート系映画とか大作系とかなんだかんだ言いますけど、映画が充実している事が大事。

今、東京にいると一見盛り上がっている様にも見える側面もあるけど、実際はちょっと寂しい感じ。

数年前、山下さんが天然コケッコーとか公開してた頃、僕も本日の猫事情という映画(これも一応ミニシアター系映画)を公開してた。あの頃が最後のちょっと充実していた時期だと思う。
日本映画の。

僕が何を基準にしているかと言うと、地方の自転車で行ける範囲にレンタルビデオ店があって、そこで10代の少年少女たちが、ふと手に取った映画で人生に影響がある程の衝撃を受けるかどうか、ってとこで例えば天然コケッコーは人生を変えるような種類の映画ではなくても、感性に大きく響く可能性は秘めた映画ではある。

で、そういう観点で行くと今、例えば青春Hのいくつかの作品でも衝撃を受けるものはあるだろう。

でも、なんだろう、何かが違う。予算が違う?それもある。

時代が混迷し過ぎている?それもある。

でも僕は一言で言えば先の震災と原発事故によって、日本が解体されたという事だと思う。

実は歌の方がスピードが早くて、90年代はぎりぎり共通の感性をいうものが歌われていた。

wowwowwow時には起こせよムーブメント♪ と言って何かを歌い託せた時代である。

それが2000年代になって良い言い方をすれば多種多様。悪い言い方すればみんながバラバラの方向を見始めた。

で、映画も遅れて(さらに震災と原発事故もあって)皮肉を込めた言い方をすれば、多種多様になっている訳だけど、混乱を誰も物語に出来ていない。よってダイナミズムが足りない訳である。

ファスビンダーが撮ったマリアブラウンの結婚をヴェンダースが観たとき、これこそ我々の世代が作らなければならなかった映画だ、と言った。それはそういう事だと思う。

時代が捉えやすい虚無だった時代に、例えばタケシブルーは独特の広がりを持っていた。

ウォンカーウァイも黒沢清も三池崇史もそうだ。

日本だけでなく世界が混乱に入ろうとしている時代にポールトーマスアンダーソンはマグノリアという映画を作った。

キュアソンのトゥモローワールドもあった。

隣国韓国では混乱の側面を上手く捉えてしっかりエンターテイメントに昇華させる自力を見せている。

では日本はどうなんだ?

誰も混乱を収拾出来ないでいる。

しかしながら、もはや“日本”という認識すら無くした方がいいのかも知れない。

つづく(多分)


写真は近所の野生。
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