5月初旬、父が他界しました。
その時が近づいていると覚悟はしていたのだけれど、あまりにも急なことだったので会うことは叶わず、残念に思います。
本当によく頑張った父でした。
入院中、2回もコロナになったのに、それも乗り越えて、乗り越えて生ききった。
立派だと思いました。
父は透析をしていました。
在宅中は、母が付き添ってお世話をしていました。
食事の管理もきっちりこなしていた母。
管理栄養士も驚くほどの徹底ぶりでした。
母は、父に文句を言われながらも、できる限り父のリクエストに応える工夫もして、あらゆる栄養のバランスを考え、毎日計算計算の日々でした。
日々の計算を記したノートは何冊になったのだろうか…
周りから、「そこまでしなくても…」と心配された母でしたが、やはりそこは父への愛があり、決して曲げませんでした。
父は父で、努力の人で、歩くことを積極的に行っていた人でした。
父が、だらだらと過ごしているのを見たことがないくらいマメな人で、計画的に動く人でした。
男気があって、アクティブな人。
武士のような山伏のような強さを持っている人でもありました。
父は入院中でも、私達子どものことを心配してくれるような優しさがある人でした。
父が亡くなって、寂しさから母も私も涙がにじむこともありました。
けれど、葬儀はとても和やかに温かく明るいものになりました。
それは、父自身の演出があったからです。
私は、40年ほど前に父から、父の歌(父が歌った歌)が録音されている90分のカセットテープを預かりました。
「お父さんの葬式のときにかけてくれ」と託されたのです。
父は音楽や歌が大好きな人で、家にいるときは、いつも演歌を歌っていました。
(ちょっとした大会に出たこともあり、賞をもらうくらい上手かったです)
父の好きな歌を集めたカセットテープでした。
私は40年間、このテープの存在を忘れることはありませんでした。
封がしてあったので、中を開けたことはありませんでした。
もしかすると、父は私にこのカセットテープを渡したことを忘れていたかもしれません。
ですが、父が亡くなって私は気になって仕方がなく、思いきって封を開けることにしました。
40年前のカセットテープ。
音は出るのだろうか…?と恐る恐る聴いてみました。
すると、とってもキレイな音質で、懐かしい若かりし頃の父の歌が流れてきました。
よかった〜と感動!
一緒に口ずさむ私。
なんと、歌だけではなく、
A面、B面、それぞれ最後にメッセージが入っていました。
それは、私達子どもたち、そして、まだ見ぬ孫たちに向けたものでした。
先見の明があり、未来を考えて語る若き父の声は、カッコよく、偉大さを感じました。
私は、母やきょうだいの了承を得てから、このカセットテープを持って葬儀場の方に相談しました。
葬儀場の方のご厚意で、納棺のときも父の歌が流れました。
葬儀の式の最中以外は、父の歌を流してくださったのです。
火葬場のお清めの時間も父の歌を流してもらい、私が急遽作った父との思い出のアルバムを親戚の方々にも見ていただいて、和やかに笑顔で父との楽しかった思い出に花が咲いたのでした。
母もニコニコと明るい表情で、「やりきったから悔いはない、気持ちは明るい」と言いました。
「もうこれで、お父さんは痛くも痒くも苦しくもないんだから、良かったと思ってる」と言います。
私達子どもも、母と同じ気持ちでした。
火葬場で収骨の時、係りの方が骨の部位の説明しながら、父のことをとても褒めてくださいました。
父は86歳で他界しました。
骨は真っ白で、綺麗に形が残っていました。
「86歳でこれほど綺麗に骨が残るというのはなかなかありませんよ」と係りの方がおっしゃいます。
あばら骨も残っていて、自分の歯も数本残りました。背骨もしっかり残り、喉仏や顎の骨も崩れることなくそのまま綺麗に残りました。
係りの方が説明しながら何度も何度も褒めてくださいました。
お骨の状態から、両親の努力を察してくださり、とても褒めてくださいました。
運動を欠かさなかった父の努力もありますが、母の努力は誰にも真似できないほどで、本当に二人三脚でよくここまで頑張った、凄いと私も誇らしく嬉しく思いました。
「お父さん聴いてるかな?凄いね、お父さん!よかったね!」と私は父の遺影に向かって話しかけていました。
長生きな人は、骨が丈夫なんだそうですよ。
生前、父からは、いろんなことを教わりました。
物知りの父でした。
父のお骨からもいろんなことを感じ、最後の最後まで身をもって私たちに教えてくれました。
父の生き様を見せてもらったような気がしました。たくさんのことを学ばせていただきました。
私も父と似ている部分があり、
父の血が流れ、引き継いでいるなぁと感じます。
自然が大好きで、音楽と歌が好きなのは、
父からの影響がとても大きいです。
父は個性的な人で、
私たちがまだ幼い頃、ワイルドな父は、庭にいたヘビを捕まえて、ヘビの口と尾っぽを持って私たち子どもの前に差し出し、
「お父さんがしっかり持っているから、触ってみろ」と言ってみたり・・・
(私は恐怖のあまり、後退りして触りませんでした)
私が小学生の頃は、朝から大音量でクラッシックのレコード(行進曲)をかけ、季節関係なく、カーテンと窓を全開に開け放つという手法で子どもたちを起こす、なんとも豪快なことをする人でした。(ご近所迷惑だったのでは?と今となっては思いますが…)
おかげで、今でもクラッシックは大好きです。
行進曲を聴くとあの頃のことを思い出します。
学校が嫌でも、朝から音楽で気持ちが明るくなるとか、元気が出るというのを父のおかげで知ることができたと思います。
思い出はいろいろありすぎて、つきませんが…
幸せなことに、たくさんの場所に連れていってくれた父のおかげで、家族で過ごした楽しかった思い出がたくさんあります。
葬儀の前日、急遽、父との思い出のアルバム作りをしていたときに、かわいい雷鳥親子の写真が出てきました。
岐阜県の乗鞍岳畳平付近で早朝に見かけたものです。雷鳥に会えるなんて非常にラッキーで、皆で感激したことを思い出しました。
お昼頃、太陽の周りに虹色の光の輪が現れました。10分ほどで消えてしまいましたが、母は感激して涙していました。
父からのメッセージ、自然界からのギフトでしょうか。
普段から元気そうにしていたいた母ですが、帰宅後はとっても声が弾んでいて、心から喜んでくれたようで私も嬉しく思いました。
これからは、母との時間も大切にしていきたいと思っております。
長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました