たとえ術式に慣れていなくても、
思念とは手足と同様なものであるという
認識をしっかりと持ってください。
どのような術式であれ、
自身の一部である思念を
使えない道理はないのです。
大切なことは、
気や術をひとつのものとして
融合しとらえること。
施術とは単にそれだけなのです。
私たちは自身を未熟と承知するゆえ、
修行を続けるのではないでしょうか。
悟達の域に達したと思う時、
こころの成長も技の進化も果てるということを
自身の身に照らして考えた時、
その思い上がりがあって技にも
周りの動きにも神経を配ることが
できなかったゆえの心の隙であり、
それゆえに迷いを脱し、
真理を得ることに至れたとの
幻影を見るのでしょう。