Drumsという楽器は非常に難しい。
何が難しいというと、手足をバラバラに動かさなければいけないところであって、逆に言うと、手足が勝手にバラバラに動く人には最適な職業に成り得る。
中学に入学した頃に、兄貴がビートルズにはまっていた事もあって、私はベースギターを持たされた。
それが間違いだったことはすぐに判明し、私は、兄とは一線を画す行動に出る。
近所の高級マンションの一室にドラムセットを置いている同級生の家にちょくちょく遊びに出かけては一生懸命ベースの練習をしていた私は、ある日、「No Quarter/Led Zeppelin」を叩いてみた。
完璧だった。
それから私のドラム人生が始まった。
最初はドラムセットが高価なのに驚いた。
ベースにしとけばよかったと思った。
でも、止まらなかった。
座布団や枕を並べ、やっとこさ買ったドラムスティックでたたき続けた。
座布団はすぐにボロボロになり、部屋には蕎麦殻が散乱するようになって、親からこっぴどく怒られた。
「だめだ。ドラム買わなきゃ」
音楽雑誌の「楽器売ります」コーナーでPearlのセットが3万円で売りに出ていた。
お父さんの弟、つまりおじさんに相談して、当時は法律でも禁止されていた18歳未満で土木作業に従事。
一ヶ月ほどでお金が手に入ったので(今から考えれば安く使われただけだったが)、速攻でドラムセットを買った。
買ったのは5万円のYAMAHAの中古のセット。Zildjanの24インチのスウィッシュが付いていて、すごく気に入った。
もっといいセットが欲しくなって、必死で闇でヤバイバイトをたくさんした。
中学三年生の時には200万円ほど溜まったのでYAMAHAの9000シリーズを買った。
7インチのウッドのスネアも買った。
それを、都営団地の一室で叩きまくって練習した。
苦情が絶えなかった。
そして、私は独立するのです。
江古田という町で友達と共同でマンションを借り、毎日練習した。
高校生だった私は違法なアルバイトを続けながら無免許で先輩の車で足立区から板橋まで毎日往復した。
今から考えれば、よく続いたなと。思う。
しかも、受験勉強もしていたのだ。
その勢いは中央大学に入ってからも衰えず、ミスタードーナツや家庭教師、ゲームセンターなどをしながら二年ほど続きました。
そして、セミプロ入り。
お話はここまででいいです。
この後、私は音楽から足を洗うわけですが、私が言いたいのは、「何が私をそこまで動かしたのか」です。
とにかく、ドラムは魅力的です。
男らしいし、繊細だし。
そこまで魅力があるからこそ、今でも続けているのだと思います。
付け加えて言うならば、そういう間にもスキーをしたり、サッカーをしたりしていました。
一体私には、「一日」とは、何時間だったのでしょうか?
サッカーが一番つまらなかったです。
時間を無駄に使いすぎる。