11日に行ってきた仙巌園の感想です。
と言っても、その1、その2だけ。
http://ameblo.jp/pour-rien/entry-10177249336.html
http://ameblo.jp/pour-rien/entry-10177329894.html
この記事は隣接されている、尚古集成館の感想記になります。
の前に。
鶴嶺(つるがね)神社へ。
島津家歴代当主と、その家族が祭られている神社です。
http://photozou.jp/photo/photo_only/17239/15922749?size=800
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E5%B6%BA%E7%A5%9E%E7%A4%BE
wikipedia見て気付いたんですが、廃仏毀釈って明治に入ってすぐのことだったんですね。![]()
ちょうど、13日付のさつま人国誌で、帯刀の最期についてが書かれていて。
http://373news.com/_bunka/jikokushi/index.php
神式葬儀だったんだぁ、と思ったんですが。納得。
帯刀の一年前に亡くなった、忠義の妻・暐姫の葬儀を神式にしていたからなんですね。
篤姫の膝の上で、物語を語ってもらっていた子が……。
と、それは置いといて。
お参りをすませたら、今回のもう一つの目的だった尚古集成館へ
の説明読むと、゛島津家の゛歴史資料館なのですね。
http://photozou.jp/photo/photo_only/17239/15922915?size=1024
中は当然、
は
なので、こちらを参考にお読みください。
http://www.shuseikan.jp/renew/info1.htm
入ってすぐは、島津家の来歴、平安頃から戦国にかけての紹介、海外との繋がりなど。
改めてじっくり読んだんですが、戦国萌え燃えるの、ちょっとわかりました。w
http://www.shimazu-yoshihiro.com/shimazu/shimazu-marujyuji.html
次の場所は、鎧とか駕籠とか諸々展示されています。
最初のところでは、行事の際の作法の紹介があって。って言っても、事細かなものではなく。
島津家は鎌倉流という伝統的な作法で、諸々の儀式をしていたのですが、都のお公家さんたちと付き合うようになると
なことがあったりして、別の流派に詳しい武士を雇って、当時主流だった儀式様式を取り入れたそうで。
で、それ以来、対外的な饗宴や公的な儀式のときは、そちらを用い、それ以外では鎌倉流を続けたそうです。
お付き合いって大変だなぁ、と。w
そこを出ると、VTRが流れていました。
9分の短いものがエンドレス。
主役は忠義の息子・忠重だったかな?
斉彬の孫と名乗っていたので、多分。あ、本人じゃないですよ。もちろん。w
内容は集成館の中身を概略的に語っていた感じかな。
仙巌園の御殿使ってロケしてました。w
そこからは、集成館事業の展示がズラリ。
以前行ったときもあったのかな? 意識してなかったんで、覚えてないんですが。
斉彬の写真原版も展示されていました。
しかし、見づらい!
こー、曇りガラスのような。正面から見ても、薄汚れているだけにしか見えないし。w
いろいろ角度を変えて、よーやく薄っすら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Shimadu_Nariakira.jpg
それでも、ドキドキですよ。
近くに人がいなければ、もっと長々と眺めていたかったです。w
ここでも、お土産物色。w
http://www.shimadzu-ltd.jp/gift/shop_sto.htm
篤姫関係はもちろん、鹿児島、島津関係の書籍が充実。
あ、例のお守りを模した赤・青のお守りも販売されています。
本物とは色味とデザインが少し違いますけどね。
でも、ちょっと欲しくなりました。w
あと、篤姫の婚礼道具にも施されていた、島津・近衛・徳川三家の家紋のついたコンパクトミラーとか。
黒地に金で、なかなかのもの。
日本お土産コンテスト? かなにか、そんなようなものにノミネートされているそうです。
そして、そして別館へ。
手前にある木は、クロガネモチですよ。
今和泉の父上が於一を称した。
別館では企画展が順繰りに催されます。
いま開催されているのは、徳川と島津氏展。
http://www.shuseikan.jp/shuseikan/shuInfo.htm
関ヶ原の戦いから、徳川と島津がどのように付き合ってきたか。
と言っても、結構スペースは狭いので、何時間もいられるほど詳しくはありません。
展示されているのは、貴重なものなんですけどね。
今回の目的は、なんと言っても現存している篤姫の写真の原板ですから
あ、他にも篤姫の残した和歌や斉彬、忠義に送った年賀状なども展示されていました。
篤姫展でも展示されていたもので、ここからの貸し出しだったんですね。
その年賀状なんですが、ものっっっすごくワケワカラン書式(?)で書かれていてですね。
なんでも大奥の女中が送るときの書き方だそうで。
と、ググッたら散らし文というらしいです。
こんな感じ。
http://www.library.metro.tokyo.jp/17/023/17a00.html
読みやすく印字されたものも置いてあったのですけどね。
読めるかー。 (ノ`Д´)ノ彡┻━┻
内容とか解説も置いてあってほしかったですよ。![]()
そしてキタワァ*:.。..。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:* ミ ☆
原版![]()
こちらは斉彬のものより、ずっと鮮明でした。
撮った経緯とか場所は不明なのでしょうね。
撮影者・忠義の写真コレクションの中にあったそうです。
いろんな角度から眺めてしまった。w
事前情報の先入観のせいか、ああデカイな、と思いました。
と言うのも、集成館のほうに英国留学生の写真パネルがあったのですよ。
最年少13歳ですが、実際はもう少し幼く見えました。
ちっちゃいのですよ。w
http://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/josetsu/theme/kinsei/paris/kgs03_s8_1.html
対して、篤姫はこんな感じですしね。
http://www.news.janjan.jp/area/0803/0803162910/1.php
http://picasaweb.google.com/yoshibo51/plqyFE#5176403473087179666
デカイといっても当時の人に比べたらの話なんですが。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1420678069
当然、実在した人ではあるんですが。
それでも写真と原版を見て、それ以上にいた人なんだなぁ、と。
説明も相俟って、どんな経緯で会うことになったんだろうとか、どんな風に撮ることになったんだろうとか。
篤姫関連の発見が相次いだ年でもありましたし、こういうところの記録も見つかってほしいですね。
さて。
本日はついに最終回ですよ。
まだ総集編を残しているとはいえ、実に寂しい……。
例年通り、BShiでの再放送があると、また楽しみも伸びるんですが。w
どうなることか。
この日の戦利品は、一つのみ。
仙巌園の入り口で販売されていたミニパンフ。
仙巌園にいらした方は、ぜひお買い求めください。


と格安ですから。w



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