ちょうど上洛、薩英戦争辺りから戊辰戦争まで。
下の二つは王政復古による政治体制の変化と、篤姫の略年譜。
家茂の後継問題って、どう描かれるでしょうね。
史実だと篤姫は家茂の遺言通り、田安亀之助 を推したらしいですが、和宮は慶喜を推したそうです。
亀之助は当時四歳で、まあ無理ですからね。
家茂の遺言を無視してまで、徳川将軍家の安泰を考えた。和宮も徳川の人間になったんだ、ってとこがよく解るエピだと思うのですが。
「息子の死」は再来週ですね。その次の回が「嫁の決意」らしいので、改変せずにするかな?
うーん。
は寄稿文。
先日発見された、薩摩藩士の日記について。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008092702000236.html
奥向けの仕事をしていた藩士で、篤姫が今和泉の実家から鶴丸城に上がったときの様子や、江戸城に上がったときの様子など。少しだけですけどね。
でも、脚本が書かれる前に見つかってたら、また少し変わってたかもなぁ、なんて思いました。
鶴丸城に上がったときから、この日記を書いた藩士の娘がお付としてずーっと従っていたそうで。
明治期に入ってからもお屋敷の女中頭として働いていたそうです。
もしかしたら薩摩時代から一番長い付き合いだったり?
いずれ、この日記の研究を元に書かれた本が出たりしないかな~。




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