クリスマス🎄

今年のクリスマスは
コロナのせいか、
気温のせいか、
クリスマス感のないクリスマス🎅

そんなクリスマスの前の日。
これを見てみました。

場所はボストンの地元の新聞社
カトリックの神父達の性的虐待に関する
記事を掘り下げていく新聞記者達。

数年前に、記事にされたこともあって
弁護士からリストも新聞社に送られていたという事件。

でも問題にならなかった。
忘れられ、人々も問題にしようとしなかった。
被害者も、問題にするなと周囲からの
圧力があったり、
訴えても、少額の賠償金だけで、
当の神父達は罰せられない
(飛ばされるか謹慎程度)

被害者は当時12歳前後の子供達。
生々しい証言と共に涙も出る。

あいつらは神様だったんだ。
神様が家に来るなんて、母親が喜んだ。

クリスチャンの彼らにとって、
絶対的な存在である神父達。

その立場を利用して、
性行為を強要した神父達。

数年前に、記事にした記者は
一つの事件を扱っただけで、
それ以上の問題意識はなく
その後の神父のリストはスルーした。

きっと、1人の変態神父が訴えられた。
ただそれだけの認識だったんだろう。

最後に、弁護士に
「お前は何をした。」と聞かれ
「何もしなかった」と答えた記者。

映画の中で弁護士は、
教会の悪事の片棒を担いでると
言われているが
ある種被害者に寄り添うことを
その時できる事でしていたんじゃないか
と思うようになった。

協会も、もちろん保身なんだろうけど
一部(といってもボストンだけで90人)の
問題で、信心深い信者達を裏切れなかったのかもしれない。

クリスチャンでもある記者も
「ミサに行けなくなった。行っても神父を見ると怒りが湧いてくる。信心深いおばあちゃんには言えない」
と言う。

結局、被害者だけが
全てを引き受けさせられて
ひっそり生きることを強要させられた。

ホッケーチームのコーチだった
高校の神父。
被害に遭ったのは
ホッケーチームの男子生徒
卒業後、妻子を持ち仕事も成功している。
でも記者に聞かれて泣いてしまう。
「誰にも話せなかった。」

そしてその後、そこのOB同士の会話
1人は記者。
「君は運動は何を?」
「フットボールだ」
「私は陸上,私達は幸運だった」

今の日本でも性被害の訴えが増えている。
加害者が増えているのではなく、
訴えるひとが増えているのである。

そんな人達に対して
「そんな服装してたから」
「お酒を飲んで寝てしまうなんて」
「抵抗しなかったんだろ。同意したんだ」
という、セカンドレイプをする人たちの
言葉を聞くたびに思う。

私達はただ幸運だっただけなんだ。と。

もしかしたら性暴力だと
思っていなかった事があって
よく分からないけど傷を受けてて
自分を守るために忘れていて、
振り返ったら、小さな私が
未だ血が滴った大きな傷を持ったまま
涙を流している人もいるかもしれない。


そんなことを考えると、
被害者を責めるなんてできないよな…

結局、カトリック神父の性暴力は
法皇が出てきてコメントするまで
問題が発展する。
負の部分に向き合えたキリスト教は
また変わっていくのだろうか。
映画ではその前で終わるんだけど。

私達はただ幸運だっただけで
何もしない理由にはならない。
誰かが大きな傷を引き受けて
苦しんでいるのなら、声を上げて、
性暴力をなくしていかなければ。

声が大きくなる事が
被害者を救うことになるのだな
と思いました。

クリスマスだけど、
キリスト教の負の部分を見ていた私。

ご飯はこんな感じ。

豆腐とひよこ豆のフライドチキン風
グリーンサラダ
いちごタルト

豆腐はレシピでは木綿で作れ!
って書いてあったけど
絹で作ったので
意味わからないものになったけど
周りの衣がフライドチキンっぽくて
めちゃウマでした。

いちごタルトは白崎茶会さん。
ちょっと焼きすぎたのか
硬めでした。
焼き時間間違えた。

そんなveganのクリスマス。

ごちそうさまでした!!

興味ある方はぜひ。