糖尿病学はHbA1cとともに大きく発展しましたが、いま、HbA1cの呪縛によって前進できないでいます。HbA1cの臨床的意義は「数カ月間にわたる高血糖の記憶」です。この短すぎず長すぎない数カ月という時間が実に絶妙だなと常々感心しています。直近の血糖管理状況の指標でありながら、同時に慢性合併症のリスク指標にもなるからです。

 しかし、あまりに万能が故に一人歩きしてしまうケースがあります。「HbA1cが8%以上なので手術ができません」「HbA1cが7%台ではまだ妊娠してはいけません」──。いずれの判断も間違っていません。ところが、持続グルコースモニタリング(CGM)の推定A1c(平均血糖値から推定されるHbA1c)ではいずれも約6%を示していた、という経験があります。それでも糖尿病学で示されたエビデンスの多くは血糖の善しあしの基準をHbA1cに依存していましたから、科学的には正しい解釈です。

 私たち糖尿病専門医はかねてHbA1c以外に治療や介入の効果がすぐに反映される短期の血糖管理指標が欲しかったので、Time in Range(TIR)の登場は福音となりました。ところが、TIRの概念はいまだにHbA1cの檻にとらわれています。

 前回、TIRの目標は一般に70%と紹介しました。まずは、その根拠となったレビューを見てみましょう1)(図1)。

 

 

確かに、TIRとHbA1cには強い相関関係があり、変換式からHbA1cの治療目標である7%に相当するTIRを求めると66%、四捨五入すれば70%になるというわけです。ただ、元になった18の臨床試験では、いずれもCGMやインスリンポンプを活用して先進的な血糖管理を行っているにもかかわらず、わずか4研究しか平均TIR 70%以上を達成できていません。実際に、リアルワールド、すなわち外来で診ている1型糖尿病やインスリン分泌が低下した2型糖尿病の患者さんでもTIRが70%を超えている方はさほど多くはありません。

 そもそも、HbA1cが7%を超えると合併症につながるというエビデンスをそのままTIRに適用してよいものでしょうか? HbA1cは量的な高血糖の指標であるのに対して、TIRは純然とした時間的指標であり、意義が大きく異なります。やはり、TIRは独自に合併症との相関を示すエビデンスが必要です。

 残念ながらTIRのエビデンスはまだ絶対的に不足していますが、昨年、DCCT試験のデータからTIRと網膜症および腎症(微量アルブミン尿≧30mg/gCre)との関連が示されました2)(図2)。

 

 

TIRの増加に伴って網膜症・腎症ともにリニアに減少することが明らかです。ところが、TIRが50%を超えた時点で完全に底を打ってしまいます。DCCTは1型糖尿病を対象とした研究ですから、1型糖尿病患者ではTIRは50%以上もあれば合併症を抑制できるのではないかと考えられます。

 一方、2型糖尿病では、網膜症、特に視覚障害につながる重篤なものも含めて、TIRが高ければ高いほど少ないという研究結果が報告されています3)。しかし、解釈で気をつけなければならないのは、この研究の対象はインスリン分泌能がかなり残存しており(空腹時Cペプチド 1.9 ng/mL、平均値)、半数はTIR 70%以上を達成できています。このように、きちんとアウトカムから吟味していけば、TIRは対象によっても基準値を大きく変えなければならないことが分かります。

 現状でも、TIRはHbA1cの有能なサポート役として十分活躍しています。治療介入の効果を最速で評価できますし、HbA1cが抱える問題の解決法の一つとして今後も紹介することがあるでしょう。ただ、TIRの評価基準をHbA1cとの“にらめっこ”にとどめていてはいつまでも血糖管理の主役になることはありません。TIRはまだCGMから生まれた一つの「統計値」にすぎないことを理解し、糖尿病合併症、心血管病あるいは死亡などのハードエンドポイントを独立して予測できるのか、これから様々な対象と十分な試験期間をもって試さなければなりません。

 そして、血糖変動を時間としてとらえるTIRの発想は非常に素晴らしいものですが、実は「数学的な弱点」をはらんでいます。次回は、Time Below Range(TBR)が低血糖側の健康リスクを正しく代弁できるのか、私自身の研究結果から生まれた疑念などを提示します。

 

  前田泰孝(南昌江内科クリニック/南糖尿病臨床研究センターセンター長)●まえだやすたか氏。2002年九州大学卒業、03年福岡逓信病院、04年済生会福岡総合病院、05年九州大学大学院医学系学府博士課程入学、10年九州大学病院内分泌代謝・糖尿病内科助教、12年米ハーバード大学医学部附属ジョスリン糖尿病センター客員研究員、15年九州大学レドックスナビ研究拠点特任助教などを経て17年から南昌江内科クリニック糖尿病臨床研究センターセンター長。19年に一般社団法人南糖尿病臨床研究センター設立、同理事長を兼任。