ランセット』が特定の国・地域の医療をテーマに特集号を出すのは、メキシコ、中国、パレスチナ、南アフリカといった例はありましたが、先進国では日本が初めてです。「なぜ日本か?」とよく聞かれます。それには公式と非公式の2つの理由があります。

 まず公式の理由から。今年50周年を迎えた国民皆保険制度や、きめ細かい公衆衛生対策などによって、日本が戦後、短期間で長寿社会を実現したことです。そして今、急速に高齢化が進展する中、様々な課題に直面し、それを乗り越えようとしている。世界各国が日本から学ぶべきことは非常に多いと考えます。日本が実現した成果と、今抱える問題を世界に伝えれば、日本はグローバルヘルスの分野で大きな貢献ができるに違いないと考えたのです。

 非公式な理由は、単純に私自身が日本が大好きだということです。私の父は1946年、英連邦占領軍の一員として広島を訪れ、町の復興に携わりました。父が撮影した、原爆で何もかもなくなった広島の町の写真を、子どもの頃に幾度も見せられました。それは大変衝撃的な体験でした。何もない町なんて見たことがなかったからです。父は帰国すると親日家になって、日本から持ち帰った置物などを家中に飾るようになりました。私は、そんな家に生まれ、成長し、遠い英国から日本が高度成長を遂げるのを「あの廃虚からどうしてここまで復興できるのだろう」と驚きを持って眺めていました。

 つまり、この特集号は、私が子どもの頃に非常に大きな影響を受けた国に対して、深い敬意を表す個人的な手段でもあるのです。

 執筆陣の取りまとめなど大変な労を取っていただいた武見敬三先生(日本国際交流センター・シニアフェロー)と、当時WHOにおられた渋谷健司先生(東大医学系研究科国際保健政策学教授)に「『ランセット』の日本特集が実現したら素晴らしいと思わない?」と最初に話したのは約3年前のことです。その後、チームを編成していただき作業を開始、昨年9月には論文の査読会議を東京で開き最終的な編集の詰めに入りました(「『ランセット』が日本に注目」(2010.10.12) 参照)。

 そんな折、今年3月に東日本大震災が起き、執筆者の中には被災地入りする先生もおられ、作業に黄信号がともりました。でも、皆さんの尽力のおかげでなんとか今年発刊にこぎつけることができて非常によかったと思っています。というのは、国民皆保険50周年がまさに2011年であること、そして、被災地の医療復興に向けて、この特集号が強いメッセージを発信できると思ったからです。

 私が考える日本の医療の最大の強みは、1961年以降、国民皆保険制度が50年間にわたって堅持されてきたことです。この制度は日本の社会に公平感、連帯感をもたらし、長寿世界一を達成する上で大きな原動力となりました。最近ですと、2000年の介護保険制度導入も大きなイノベーションだったといえます。しかし、弱点もなきにしもあらず。私は2つの大きな弱点があると考えています。

 1つ目は、日本人の健康にこれだけ貢献してきた国民皆保険制度が、高齢社会の到来、雇用形態の変化、官僚主義などによって殺されかけているということです。全国に3500もの保険者が存在し効率性が落ちています。保険者によって保険料が大きく異なり、格差が拡大しています。特集号では、保険者を都道府県レベルで統合し、保健医療資源の配分や財源について権限と責任を都道府県に移譲せよ、といった踏み込んだ提言をしています。とにかく、抜本的な構造改革が喫緊の課題です。

もう1つの弱点はプライマリケアです。急性期医療の水準は非常に高いのですが、慢性疾患の医療の質が高くありません。高血圧や脂質異常症の管理目標は薬剤が投与されている患者の半数程度でしか達成されておらず、喫煙、肥満への介入も不十分との分析結果がでています。加えて、ゲートキーパーとしての訓練を十分に受けたプライマリケア医が不足しているため、患者の振り分けが効率的になされておらず、それが高次医療機関の医師たちの疲弊を招いています。

 特集号の中でも提案しているのですが、日本も専門医制度の中で「総合医general physician)」を1つの専門分野として確立し、その養成に取り組まなければなりません。

 すぐにでも対策を講じなければならないのは、その2点だと私は考えています。

 特集号の5本目の論文では、「日本はもっとグローバルヘルスに積極的に参画せよ」と提案しています。今、グローバルヘルスの世界は2つの国、米国と英国の研究者たちによって牛耳られています。それは全く誤ったことです。議論にはあらゆる声が反映され、多様性が確保されるべきです。

 日本は保健医療や医療保険制度の分野で素晴らしい成果を上げてきましたが、そのことが世界に届いていない。英語で発信する人が少なく、文献がほとんどなかったからです。世界に誇るべき素晴らしいストーリーを持っているのに、それを語る機会がなかった。そこで私は、今回の執筆陣に、グローバルヘルスの世界で次代のリーダーになれるような新進気鋭の専門家を数多く起用しました。彼らが今後、世界の舞台に立って活躍することを願っています。

 最後にもう1点。今、どの先進国も人口の高齢化と社会保障費の増加に悩んでいます。1つの解決策は言うまでもなく増税です。日本の新首相の最大の課題も増税だと聞いています。国民の合意を得るのは大変ですが、他国と異なり、日本は現在、歴史的な転換点にあります。大震災で日本の社会の“絆”、連帯感が強まったことは、政治家にとっては大きなチャンスです。

 国民一人ひとりが助け合い、生存していくには何をしなければならないか。多くの政治家にもぜひこの特集号を読んでいただき、かつての日本の政治家たちがリーダーシップをいかに発揮し、偉業を成し遂げたかについて学び、今後の社会保障政策に生かしていただきたいと思います。