富山県の射水市民病院の医師が末期の患者7人の人工呼吸器を外し患者が死亡した問題について、12月21日、富山地検は殺人容疑で起訴された2人の医師を不起訴処分としました。地検は不起訴の理由を、医師らの人工呼吸器を外した行為と死亡の因果関係について疑問が残り、殺意を認められないためとしています。
地検の判断は、問題となった7人の患者は死期が迫っており、人工呼吸器を外さなかった場合でも、同じ時期に死亡した可能性があるという点を重視したものです。他方、安楽死・尊厳死議論に必ずといってよいほど登場する、患者の意思が推定されるかどうかについては不起訴と直接的な関係はないとしており、検察庁は、治療中止に関する患者の希望を考慮して不起訴にしたというわけではなさそうです。
これまでに北海道立羽幌病院、和歌山県立医大付属紀北分院など、延命中止のため人工呼吸器を外したケースが書類送検されましたが、いずれも容疑不十分として不起訴処分になっています。今回の射水市民病院の事例で、ほぼこの流れは固まったと判断してよいでしょう。前々回、このブログで川崎の病院で起こった事件の最高裁判決についてお話したように(2009.12.18「最高裁判決に見る安楽死・尊厳死の難しさ
」)、善意の治療によってもたらされた微妙な死の問題は、最高裁判所さえ明確な判断が困難ですが、それでも一定の基準が見えつつあるように思えます。
その基準は、次のように考えられます。本人の意思がはっきりと確定されない状況で、薬剤などによる安楽死・尊厳死を行った場合、殺人罪の違法性が阻却されるという形では許されず、殺人罪による立件、有罪宣告はまぬがれ難い。しかし、強力な薬剤などを使用するのではなく、いわば消極的安楽死・尊厳死ともいえる治療中止によって患者を死に導いた場合は、許容され立件しない。そのような線引きが生まれつつあるように思われます。
従来殺人罪で立件された安楽死事件では、心毒性の強い塩化カリウムや筋弛緩剤のミオブロックといった致死性の強い薬剤が使用されています。すると今後、鎮静剤や鎮痛剤を大量に使ったときに、どのような判断を下すのかといった問題は残ります。ただし、死期の迫った患者さんに鎮静剤や鎮痛剤を投与することはよくありますので、よほど非常識な使い方をしない限り、殺人罪で起訴される可能性は非常に低いでしょう。
とはいえ、検察当局にこのような判断パターンがうかがえるからといって、安心はできません。どのような状況下であれば治療中止が許されるのか、その方法論はどのようなものなら許されるのか、法的な根拠はまだ何も示されていないのが現状です。
もし、医師が独断で延命治療を中止し、スキャンダラスな事件としてメディアをにぎわせたら、これまで少しずつ進んできた尊厳死についての議論が水の泡になりかねません。そうした事態を避けるためには、終末期医療について定められたこれまでのガイドラインを吟味した上で、さらに深化させることも必要でしょう。より適切な基準が成立することで初めて、法律の世界も、最高裁ですら尊厳死についての明確な判断が下せないような状況から脱却することができるでしょう。
いずれにせよ、当面は医師も、自らの独断による延命治療の中止や、強力な薬剤の使用による死の招来という形だけは避け、患者家族や同僚と十分に意思の疎通を図りながら終末期医療に従事すべきであることは、言うまでもありません。
日経メディカル ブログ:竹中郁夫の「時流を読む」より