この前、ディズニー映画「ズートピア」を見ました。
いい映画でした
ストーリーは凸凹コンビの友情・努力・勝利という話で、とてもすっきりしててとても良いです!
という単純なところと、
人間社会での偏見・差別友情に対する示唆が沢山つまってるな……という深みがあるかなと感じました。
いろんな動物が共生してる世界なのですが、動物ごとの習性や体格の違い……等々があり、
「ウサギだから××は難しい」「キツネだから〇〇」「肉食動物は……」
みたいなステレオバイアスがある世界を主人公たちが乗り越える話(説明が雑…!)です。
最近、特に実写映画でポリコレだなんだといろんな議論を巻き起こすことが多いディズニーですが、
動物だと角が立ちにくいですよね。
もう、人間主人公の話は諦めてこの方向しかないのかもですね……。
このいろんな動物を持ってきて動物に意味を持たせる……
これって、大昔にイソップ寓話で通った道では……?
昔も例えば「ナントカ村の××という意地悪なオジサンがいて……」だと、
知ってるたちには角が立つし、知らない人からはだれ?……ってなるので、
「意地悪なキツネがいました」
で始めるってことになったのでは無いかなーと。
そういったことを書いていた人もいました。
アンデルセン童話以前にみる無生物の〈擬人行為〉
-- イソップ寓話にみる無生物の〈擬人行為〉を手掛かりに
陳 筏燕
弱は強者から距離を置くべきという忠告を、壼の性質を利用し間接に伝達している。話に隠されている教訓は、ストーリーを介して伝達され、教えるという高圧的態度から一歩引き下がる効果がある。人間を壼に置き替えると、露骨な物語になってしまう。人間でないものに人間の行為を投射することによって、われわれ人間は第三者として客観的に壼に託されている喩義を受け止めることができる。
どんな時代も同じように世知辛いのですかね……