1998年夏の暑さがまだ残るある日の昼間、日本有数のグルメ県に私は産まれた。

 

フェニルケトン尿症(PKU)、産後のマススクリーニング検査にて発覚する。

フェニルアラニンという成分が私の身体には毒らしい。

(最近知ったことだが、マススクリーニングは日本で始まってまだ40年ほど。)

 

私と同じく兄もPKU患者である。姉もいるが、姉は何の異常もない。

 

兄はPKUが発覚し、しばらくは病院に入院していたそうだが私はPKU2人目ということで入院はなかったようだ。

 

 

 

物心がついた時から食事療法とフェニルアラニン除去ミルクを飲んでいた。

その他に口にできるのは野菜と低たんぱく食品のみ。

 

保育園ぐらいの時は哺乳瓶に入るギリギリの量を朝、昼、晩の食前に1杯づつ、

保育園年中以降はプロテイシェイカーを使っていた。

 

 

 

このころは、自分が食べられる種類が少ないとやっと理解し始めたばかりでだったためか、

出されたものは無理をしてでも食べるという

謎のこだわりがあり、食後吐いてしまうことが多々あった。

 

1つ目の保育園は少し厳しいところで、厨房で怖いおばさん先生に監視されミルクを飲み呑み終わらなければ出してもらえず、

ご飯もお腹がいっぱいでも食べ終わるまで遊べなかった。トマトが嫌いだった私は満腹+トマトで吐いてしまうこともあった。

今思うと、しっかり飲ませようとしてくれて感謝している。

 

1日お泊り会があったがこの時はみんなでカレーを作った。ミルクはいつもの通り厨房でのみあとはパックご飯を持参した。

 

最近知ったが昔は家の都合で保育園を引っ越したと思っていたが、私があまりにミルクを飲まないので保育園を追い出されたらしい。

 

 

 

2つ目の保育園ではお昼ご飯、おやつ時間、そして母の迎えが遅かったのでみんなが帰った後またおやつ(持参)時間があった。

昼ご飯は給食だった。みんなのご飯と似せて作ってくれていたがどんなものだったかは覚えていない。

 

 

おやつ時間でもみんなのおやつに寄せて作ってくれている物が多く今でも時々思い出して無性に食べたくなったりする。

専用HK粉で作ったブルーベリージャムクレープとかいちごジャム蒸しパンとか。

何度か作ろうと試みたがうまくいかず断念した。

 

 

保育園から近いということもあって園長先生の家に何度か遊びに行ったことがある。

その時、園長先生は自家栽培のジャガイモでポテトチップスを作ってくれた。

ポテトチップスをまともに食べたのは初めてで兄も私もとても感動した。

 

その後も何度か園長先生の家に行きポテトチップスの作り方を教えてもらったりした。

 

ここまでが私の保育園でのざっくりとした記憶。

 

 

 

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