・橋本行洋氏「新語の定着とその条件」。
「気づかない表現・漢語」の諸例をさまざまに検討してきた橋本氏ならではの問題意識と実例からなる、自身の研究の総括。新語が定着するかしないかは、定着するとすれば何がキーとなっているのか・・・ そうした視点は、言語変化過程研究にとって、新語の誕生とともに重要なポイントでもある。単なる流行語として消えて言ってしまう単語もあるし、ブームにすらならない単語もある。そうしたことを考えるためには、人間とことばの関係の種々相に迫らざるをえない。そこに挑んでいくスリリングさ、解明されたときの安堵感。研究だって十分に物語たりうるのだ。知らんけど。

・藤井俊博氏「『伊曽保物語』の助動詞と枠構造 ナラトロジーから見た解釈」。
中世の文語文(古文。和文)の典型が平安時代の文章であるとするならば、中世の文語文はいくぶんか、あるいは大いに変容してしまっていることが考えられる。ならば、どれほど古文らしさを保持し得ているかが一つの注目点たりうるわけだが、どう検討していけばよいか・・・ そこで『伊曽保物語』。元は外国文学だから、中世末期~近世初頭の古典語意識が純粋に取り出せるわけだ! もう少し分かりやすく言おう。日本産の物語だったら写本写本で伝えられていくわけですね。だから、原本の古典語らしさが、そのまま伝えられてしまうわけで、それは古い時代の残滓ともいいうるわけです。そうではなくて、中世末期・近世初期の教養層がどれほど古典を咀嚼していて、古典語を再現できるものなのか、そうした点に回答するには、書写されつづけた日本古典作品ではふさわしくないわけですね。『伊曾保』じゃないとできないことがあるわけだ。いい着眼点だなあ。