・暦上のイレギュラー。そういうときは何やら不吉なことが・・・・って、もう起こってるか。(^_^;

・『永代節用無尽蔵』(天保2年刊)の挿絵から。これだけ切り出してくると、どうということはないんですが、じつは、次のようななかになぜかこの絵が挿入されているのです。

・見る人が見ると分かるのですが、何やらいろいろ落ち着かない版面です。彫りを追加したり、いろいろ加工しているように見えます。「本願寺御門跡光澤」だけが、何やら鮮やかだし。
・「なぜ、西本願寺じゃないの?」という疑問もありましょう。が、もともと流派としては「本願寺派」があったんですね。江戸時代に入って「東本願寺」が作られたので、ならばもともとの「本願寺」は「西本願寺」でよろしいか、ということになったようです。京都には有名な東寺というお寺がありますが(新幹線だと下り方向、左前方に渋めな色合いの五重塔が見えますね。そこ)、もとは西寺もあったとか。そうしたことなども関係するのでしょうか。東があるなら、西を揃えたくなるのが人情かもしれません。
・『永代節用無尽蔵』のこの記事も、本願寺の歴史を反映していて、本来の本願寺を「本願寺」と記しているわけです。なお、菊の門の直下には「俗ニ称西」とあります。今でも京都の人は「お西さん」と呼ぶことがありますが、正式名称としては「本願寺」である、ということです。
・本来の「本願寺」が二段目に来ていて、あとからできた「東本願寺」が上段にある・・・ ただ、縦書きの本ですから、右から左へ展開するという順序に則れば、「本願寺」が先、「東本願寺」が後ということになるでしょう。かなり苦心しての配置なんじゃないかとにらんでいます。
・となれば、実は、この追儺図もあやしいか。実は、追儺図のあるところに、「本願寺」があったのではなかったか。その方がしっくりくるわけです。本願寺の歴史を考えるなら。この追儺図よりもまえに行事の挿絵はありますが、「白馬節会」は2段目にありますし、「七夕」もやはり2段目にあるのですね。「挿絵は2段目にくる」という規則を追儺図は破っていることになります。
・なにかの事情が出来して、「本願寺」の位置が急遽二段目に下げられ、二段目にあった追儺図が上段に繰り上がったのではないか・・・などと想像するところですが、さて。

・『永代節用無尽蔵』(天保2年刊)の挿絵から。これだけ切り出してくると、どうということはないんですが、じつは、次のようななかになぜかこの絵が挿入されているのです。

・見る人が見ると分かるのですが、何やらいろいろ落ち着かない版面です。彫りを追加したり、いろいろ加工しているように見えます。「本願寺御門跡光澤」だけが、何やら鮮やかだし。
・「なぜ、西本願寺じゃないの?」という疑問もありましょう。が、もともと流派としては「本願寺派」があったんですね。江戸時代に入って「東本願寺」が作られたので、ならばもともとの「本願寺」は「西本願寺」でよろしいか、ということになったようです。京都には有名な東寺というお寺がありますが(新幹線だと下り方向、左前方に渋めな色合いの五重塔が見えますね。そこ)、もとは西寺もあったとか。そうしたことなども関係するのでしょうか。東があるなら、西を揃えたくなるのが人情かもしれません。
・『永代節用無尽蔵』のこの記事も、本願寺の歴史を反映していて、本来の本願寺を「本願寺」と記しているわけです。なお、菊の門の直下には「俗ニ称西」とあります。今でも京都の人は「お西さん」と呼ぶことがありますが、正式名称としては「本願寺」である、ということです。
・本来の「本願寺」が二段目に来ていて、あとからできた「東本願寺」が上段にある・・・ ただ、縦書きの本ですから、右から左へ展開するという順序に則れば、「本願寺」が先、「東本願寺」が後ということになるでしょう。かなり苦心しての配置なんじゃないかとにらんでいます。
・となれば、実は、この追儺図もあやしいか。実は、追儺図のあるところに、「本願寺」があったのではなかったか。その方がしっくりくるわけです。本願寺の歴史を考えるなら。この追儺図よりもまえに行事の挿絵はありますが、「白馬節会」は2段目にありますし、「七夕」もやはり2段目にあるのですね。「挿絵は2段目にくる」という規則を追儺図は破っていることになります。
・なにかの事情が出来して、「本願寺」の位置が急遽二段目に下げられ、二段目にあった追儺図が上段に繰り上がったのではないか・・・などと想像するところですが、さて。